ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 594

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

昭和42(1967)年8月19日 青森駅

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/D51/D51594

早朝、下り列車の到着でしょうか。ホームには列車待ちと思われる乗客が新聞紙を敷いて座り込んでいます。この当時、始発駅ならこうした姿は普通に見られました。混雑した夜行列車でも、座れなかった乗客は床に新聞紙を敷いて寝転んでいましたっけ。日本人ってホント新聞が好きです。寒い日にはクシャクシャにしてセーターの中に入れると防寒着の代わりになると云うし。そして寝る場所を確保できなかった乗客はもう立ち尽くすだけでした。立って眠るってなかなかできませんよね。大抵、脚がガックンして目が醒めちゃう。手前に写る手提げ袋(土産袋)には「HOKKAIDO」の文字が。北海道に旅行か帰省した人のものでしょうね。

594号機というのは、西から北まで、異動が多かったんですね。画像は青森機関区時代のもの。おそらく炭水車には重油タンクを載せているのでしょう。

腰高な位置の補助灯とナンバープレートが特徴でしょうか。逆に、缶胴横の空気作用管は少々低めの位置にあります。後部標識灯は設置していません。この当時は、必要でなければ設置しなくてよかったのでしょうね。炭水車背面に前照灯のない機関車もありますが、同様の理由で、バック運転をしなければ設置しなくてよかったのでしょう。

担いバネカバーの前面の蓋は、珍しい横開き。開いた時、解放テコにぶつりそうです。

 

札幌市内では開かずの踏切として有名な東9丁目踏切が、いよいよ来週木曜日の23日に閉鎖されます。

苗穂駅からは少し歩きますが、遠出できない時には心が慰められました。

https://railway-photo.hatenablog.com/entry/2019/10/03/052112

通行するには厄介な踏切でしたが、撮影するには安全でお手軽な絶好の場所でした。踏切閉鎖後も撮影できるのかが気になる所ではあります。