SAMPUKU爺様と江別の鐵様の画像につき、転載はご遠慮下さい。
昭和43(1968)年12月28日 常紋峠
石北線のD51によく見られた補助灯。ドーム前の手摺は旭川工場製のものでしょうか。
除煙板が切り詰めされる前の姿。
給水ポンプ上の一段高いランボードは、スロープのない、木製時代の形状を保持。
昭和43(1968)年12月29日 奥白滝駅
今は信号場となっている奥白滝駅での一コマ。上り列車に乗車してきたSAMPUKU爺様が、客車の窓から下り貨物列車を撮影したものと思われます。
煙室戸周りの手摺は、キレイな円形になっていませんね。
昭和44(1969)年8月11日 遠軽駅
除煙板切り詰め後の姿で、フロント左右に手摺が増設され、補助灯がLP405に交換されています。
引退後は、撮影地でも有名な瞰望岩の直下に保存されています。現役時代の姿そのままのようです。除煙板のマークを除いてね。このマークは遠軽町の町章で、ホームページの解説によれば次の意味だそうです。
「外側の星形を北海道の北見国を北斗星で表し、その中央に三つの輪を配して、まん中の輪を「天の時」右を「地の利」左を「人の和」とした。
地方自治体の基本は、三和主義による理想郷にあることを意味したものである。」
なんか北海道炭礦鉄道にも似た薫りがして、私は好きですね。
空気圧縮機上のランボードの形状も、木製時代に準じたもののようです。それにしても空気圧縮機、ベコベコでんな。
炭水車キャブ側の端面は、炭庫が木製だったものを改造した影響を受けてか、ちょっと洒落た形状になっています。
車輪を黒く塗っているのは防錆の意味があるのかもしれませんが、ちょっと変な感じを受けます。シルバーでギトギトにされるよりかはマシですけど。
出入り扉の取っ手は、通常より高い、窓の下から窓高さ1/4辺りの所にあります。通常は窓のすぐ下辺りです。
改造した箇所の境界が分かりますね。
背面のステップは梯子タイプに改造されています。
前照灯は一般的な位置にあり、北海道機特有の奥まった位置ではありません。
準戦時型の炭水車の形式も「8-20B」だったのでしょうかね。
流石に前後とも後部標識灯を再現することはできませんでしたか。
定期的に整備を受けているようで、外観は良好に見えます。
ヤフオクにこの機関車の番号板が出品され落札された記録がありますが、この機関車に付いている番号板の真贋やいかに。
令和4(2022)年10月14日 遠軽公園
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