ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D50 140

SAMPUKU爺様の画像につき、転載はご遠慮ください。

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昭和43(1968)年3月17日 直方機関区

車歴は↓こちら。

D50140 機関車データベース (形式D50) - デゴイチよく走る!

D50と云えば誰でも知ってる140号機。京都鉄道博物館で、今でも原型の雰囲気を残した美しい姿を鑑賞することができます。筑豊で活躍していた頃の名残として、リンゲルマン濃度計の支持金具がそのまま残されています。

向って左側のフロントデッキ上の手摺が、内側に移設されています。理由は分かりません。デッキに上がる時、手が届くのかがちょっと気になります。

キャブ前窓に庇がないのがD50ではちょくちょく目につきますが、この機関車もそうです。北海道機は庇付き旋回窓付きで賑やかなんですけど。

戦前の写真と見比べると煙室扉は交換されたようで、蝶番のアームの長さ、開閉取っ手の形状に違いが確認できます。ハンドルも今は穴開きの十字タイプに交換されています。また煙室扉回りの手摺ですが、左側の下端部が支持金具のところでブチ切れています。現在は手摺が飛び出ています。一体、何があったのでしょうね。

給水温め器には現在、ヘッドマークステーが設けられています。

左右のフロントステップとも、縦板が半円形にくり貫かれています。何かを避けるための措置だったのでしょうか。同様に、炭水車背面の梯子は後部標識灯をかわすためでしょう、片方の支柱だけがえぐられるように曲げてあります。

炭水車台車の端梁は折れたタイプになっていることから、12-17形式の炭水車と考えたいところですが、側面リベットの高さから8-20形式でしょう。画像では何となく「20」と読めます。

 

D50は、昭和恐慌に伴う貨物輸送量の減少により、製造は380輌で打ち切られました。昭和40年代中期のSLブームの頃には既に廃車が進んでいたためか、保存機は僅か2輌のみ。改造機であるD60でも4輌が保存されているというのに。9600も大正生まれで貨物機だったのにもかかわらず、軸重が軽いことでD50よりも汎用性が高くしぶどく生き延びることができ(無煙化の進捗により9600をD60に置き換える計画は中断)、SLブームの波にしっかり乗れたことで40輌以上もが保存されたのとは対照的です。