ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

D51 165

田中 泰三様の画像の転載はご遠慮ください。

昭和46(1971)年11月23日 苗穂機関区

何度目かの苗穂機関区訪問の時になります。最初の頃は舞い上がってロクな写真が撮れませんでしたが、ようやく落ち着いてカメラを向けられるようになりました。

正面ナンバープレートは僅かにうつむき気味でしょうか。

一番後ろの砂撒き管の形状がこれまでとはちょっと異なります。165号機は日本車輛製ですが、国鉄大宮工場製に見られるタイプかと。

 

昭和47(1972)年6月18日 鷲別機関区

「鷲」の区名札が何だか手書きっぽいです。客車用のサボはしばしば盗難にあっていましたが、区名札の盗難被害はどうだったのでしょう。

 

昭和50(1975)年8月11日 岩見沢

赤いナンバープレートを初めて目撃しました。赤く塗った理由は分かりませんが、何だか得した気分でした。この列車で追分まで行き、翌朝まで徹夜生録に励むのでありました。初めての徹夜は結構キツかったです。

機関助士側のキャブ前窓はHゴムでしょうか。蒸機でHゴムって珍しいかも。

真夏なのにスノープラウ装着。

 

昭和50(1975)年12月14日 岩見沢第一機関区

この日は、国鉄の蒸機牽引旅客列車の運転最終日で、牽引機はC57 135号機。田中様は終着岩見沢駅の手前、操車場付近で最終運用を見届け、その足で岩見沢第一機関区を訪問。その時に出会った1輌が165号機でした。ナンバープレートを装着しているとはいえ、雪を載せた姿に復帰の望みはありません。そしてC57 135が踏みしめた志文~岩見沢間の旅客線も今はありません。

 

昭和51(1976)年3月4日 小樽築港駅

そして廃車。墓場と化した小樽築港駅の構内には、何十輌もの蒸機のムクロが静かに留置されていました。

この場に居合わせた蒸機の多くは全国各地で保存され、幸いにもこの165号機も富山県で保存されて比較的良好な状態なようです。でも、正面ナンバープレートの位置が少々低めだったりして。

車歴は↓こちら。

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