matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
四国の各機関区にはDF50やDE10が大量に配置され、蒸機は肩身の狭い思いを強いられた時期になります。
パイプ煙突ながら、正面と非公式側キャブ側面の番号板は形式入りですね。
シリンダの点検蓋の形状がちょっと異色。解放テコは片側タイプ。
キャブ側窓は原設計の2枚窓ながら、庇は2枚分に設置。
徳島本線では貨物を、牟岐線では客車を牽引していた模様。
引退後は地元徳島中央公園に保存されていますが、ここ何年も手入れを怠っているため、機関車の劣化が進んでいるようです。行政、ちゃんとして。番号板は4枚とも形式入りですが、キャブ側面の2枚はゴシック書体になっており、本物かどうかは定かではありません。またキャブ側面には「ボイラ48681」のプレートが貼られていますが、上の画像にも同じ位置にプレートが確認でき、本物のような気がするものの、車歴表の「ボイラを28637から流用」との関係性はどうなのでしょう。なお28637の車歴表に、ボイラ流用のことは記されていません。
再掲 昭和43(1968)年6月25日 多度津機関区(同年7月17日廃車)
因みに48681は48680のボイラを流用したというのですから、もう何がなにやら。
車歴は↓こちら。