matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。
撮影日・撮影場所不明
NO.3の番号板では記載されていなかった「形式9600」がNO.4では復活しています。炭水車はNO.3と同じC56タイプです。
車歴表にある通り、発注元の大夕張鉄道に納入される前に美唄鉄道に貸し出されていたんですね。戦後復興に向けて、美唄鉄道の石炭輸送量がそれだけ膨大だったのでしょう。またこの当時、会社間の力関係は美唄鉄道>大夕張鉄道と聞いたことがありますが、これが関係していたのでしょうか。
画像ではディテールがあまり分かりませんが、「石炭の歴史村」にある「SL館」に保存されているので、気になる方は訪れてみてください。あ、今は休館中でした。
車歴(機関車表 沖田祐作著より)
日立製作所笠戸工場:No.1300
1941-02-16製造→納入;三菱石炭鉱業鉄道大夕張線NO.4
1941-02-XX借入;美唄鉄道NO.4(大夕張納入前直接美唄鉄道に入線貸出)
1947-12-XX返却
1974-01-15廃車→保存;北海道夕張市「石炭の歴史村」
製造時期は夕張鉄道の21号機(川崎車輛:1941-08-30製造)よりも少し早かったんですね。この年に国鉄ではC53に代わる旅客用大型機関車C59が登場します。