ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C11 2

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

昭和41(1966)年2月6日 国府津機関区

2号機は落成から7年後には北海道へやってきて、晩年は国府津区で入換機として過ごしました。23号機までが1次型と呼ばれる初期車で、前が蒸気ドーム、後ろが砂箱ドームという配置が特徴です。C11のプロトタイプであるC10が23輌製造されたのはただの偶然でしょう。(EF58の初期車とEF13が同じ31輌だったという偶然もありましたね。)除煙板が標準装備されていたり、溶接で組み立てられた点がC10とは異なります。煙室戸の十字ハンドルから前回のC1101と兄弟かのような印象を受けますが、出生の時期が全く異なり、ディテールも随所で異なっています。その性能や使い勝手の良さから総勢381輌が作られたわけですが、D51同様、輌数が多いとファンの注目度は低くなるようでして、SLブームの黎明期に、2号機はひっそりと姿を消したようです。私鉄向けのC11も製造されており、C11 2は東武鉄道、C11-2は三井鉱山奈井江、C1102は日本炭鉱高松で運用されていました。青海鉄道公園に保存されている1号機は、高い位置の正面番号板や大きく湾曲した除煙板上部ステーなどから剽軽な顔に見えますが、2号機は至って普通の顔です。全くの余談ですが、車歴をリンクさせていただいている「機関車データベース デゴイチよく走る!」の1号機の車歴ですが、1970年以降の内容は国鉄C11形式1号機のものではありません。事情を知らない若いファンによる書き込みのようですが、管理人さんには是非とも削除して欲しいところです。

車歴は↓こちら。

http://d51498.com/db/C11/C112