ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C50 82

matuno kura が撮影した画像ではないので、転載はご遠慮下さい。

撮影日不明 糸崎機関区

メモには行橋機関区とあったのですが、車歴表や外観からして糸崎機関区だと思われます。逆V字のゼブラ、煙突上の覆い(火の粉止め)、元空気溜めのカバー、非公式側のみ缶胴回りの梯子が2本、炭水車側面の安全十字マークなどに特徴が見られます。広島工場担当機ながら、煙室戸取り輪が標準タイプで後部標識灯が前端梁に埋め込まれていません。形式入り番号板が登場時の颯爽とした姿を連想させます。67号機までの前期型に対して68号機以降の後期型では軸配置寸法が変更されました。シリンダ中心から動輪群を200ミリ後退させ、先輪に重量を負担させることで軸重を8620並みに軽減させ丙線への入線を可能にしたわけですが、実際にその効果はあったのかは不明です。それよりも、シリンダから動輪群を後退させたことにより2種類の主連棒などが存在することとなり、前期型・後期型双方を担当する現場にとっては余計な神経を使わねばならなかったようです。

車歴は↓こちら。

C5082 機関車データベース (形式C50) - デゴイチよく走る!