ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

EF58

かっけーです。EF58。一応、旧型電機です。最初のロットはベタな旧型電機然とした姿でしたが、その後のロットはご存知のスタイル。流麗で精悍。初期車である31両もその車体はEF13に譲って、後期形と同じ姿に生まれ変わりました。32~34の3両は事情があって貨物機EF18として落成しましたが、結局EF58になることなくあの世へ召されました。

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EF58 2 昭和49(1974)年11月25日 京都駅 
ナンバーの配列がアンバランスですね。

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EF58 174 昭和57(1982)年5月29日 上野駅
最終番号のイッコ手前。

就職して清水市に住んでいた昭和56(1981)年頃は、東海道本線山陽本線、高崎・上越線東北本線なんかでガンガン活躍していました。旅客列車と荷物列車の牽引がメインでした。SG搭載なので、寒い季節には蒸気を上げていました。

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EF18 33
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EF18 34
上の2枚は昭和52(1977)年8月19日 磐田駅
浜松で遠州鉄道を撮影した帰り道に運よくゲット。EF58初期車の雰囲気を伝えるその姿は、何か寂しげに見えたものです。入換と貨物の小運転という、F級機関車としてはあまりに役不足な運用に就いておりました。

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EF58 36 昭和56(1981)年10月18日 熱海→湯河原

後期形の最初の2両である35、36は、側面の窓の数が多く、EF18と同じです。EF18と同期であることの表れでしょうか。

物資の乏しい戦後すぐに製造されたため、粗悪な造りで現場からも敬遠されていたそうですが、その後の改良工事により仕様通りの性能を発揮、「つばめ」などの特急列車を多数牽引して名誉挽回し、61は特別にお召し仕様のロイヤルエンジンに指定されるなど、その後の業績は輝かしいばかりです。

浜松機関区の公開日にEF58の車内を見学させてもらいましたが、いやいや細身の車体だけあって通路は狭く、通り抜けにはいささか息が詰まる思いでした。外観がカッケくても、現場で運用・修繕する人たちの大変さがちょっとだけ感じ取れました。