ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

長野駅にて

まだ梅雨の季節だったのか、ずっと雨天だったような気がします。
三日間に渡る乗り鉄の中日に長野に到着。牛に揺られることも善光寺をお参りすることもなく、ひたすら駅撮りに勤しんでおりました。

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ありがたい雰囲気の駅舎も、新幹線開業前に近代的なビル駅になったそうな。便利になる一方で、色々なものが消えてゆきます。いいんだか悪いんだか。

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キハユニ26 9
荷物室に女子高校生の姿が。いよいよ国鉄も人身売買に手を染めたか。
な、わけないです。開放していたんでしょうね。郡山駅でも、荷物車に高校生がぎょうさん乗っているのを見たことあるし。

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ナハネ20 2232
「ナ」クラスのまともな客車って、20系が最後でしたかね。それ以降は、軽くても「オ」級だったし。
急行運用ながら、クリーム帯3本は風格があります。

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クモハ169-5
碓氷峠向けの電車。試作車は165系900番代。いわゆる湘南色ですが、80系、111・113系115系、153系、165系と、同じ色を使っても形式ごとに塗り分けを変えていました。もっとも、153系からの改造車クハ164は153系時代のままでしたが、もし165系色になっていたら・・・イメージ 10ん~悪くないかも。でもちょっと濃いか。185系湘南色よりはずっとずっとずっとずっとずっとマシだけど。

イメージ 5DD16 302
簡易線向けディーゼル機関車。DE10を一回り小型にした造りで、エンジンはDD51初期車からのお下がり。新機軸はあまりなくて、とにかくお金をかけずに作りました。300番代はラッセル車に改造したもの。DD16 1は長野工場で製造した生粋の国鉄製でしたね。

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オハ12 345
数字が並びました。いいことありそうな予感がしましたが、何もありませんでした。無事に帰れたことがいいことと言えば言えなくもありません。

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サロ169-1
トップナンバー。この頃はグリーン車の形式写真なんかほとんど撮っていませんでしたが、これはトップナンバーだったので押さえました。今にして思えば、グリーン車をもっと撮っておくんだったと、今になって先にたたない後悔を立たせまくっております。

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381系電車 特急「しなの」
世界初の振子電車。一度しか乗っていませんけど、乗り物酔いするタチな私でも、気分が悪くなることはありませんでした。カーブではお尻にずしっと遠心力がかかる独特な乗り心地でした。

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キハ55 157
色々な車両を撮影し堪能し、最後は、この列車、越後川口行き143Dに乗車して長野を後にしました。でも乗ったのはこのキハ55ではなくて、中間車のキハ28 82でした。やはり準急形よりも急行形の方がありがたかったですから。

この時の乗り鉄では、録音タイプのウォークマンでひたすら車内アナウンスを生録しておりました。セッティングが出鱈目だし、車中は眠ってばかりだったので、あまり良い出来ではありませんでしたが、いずれはファイル化しなくちゃなあと思っております。

昭和58(1983)年7月16日