ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

帰省

清水市や神奈川県に住んでいた頃、札幌へ帰省する際には専ら国鉄を利用していました。上野駅は、北海道へ向かう出発点という思いはとても強かったように思います。

昭和56(1981)年の年末、早めに上野駅に到着し、列車を撮影して時間を潰します。

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急行「まつしま5号」(季節列車)と特急「ひばり15号」  交直流車同士の並びです。
乗車するのは特急「はつかり11号」で18番線の発車です。自由席確保のために乗車口に荷物を置いての撮影ですので、あまり動くことはできません。

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「まつしま5号」が発車した20分後、常磐線回りの特急「みちのく」が到着します。青森からの所要時間は9時間5分。今なら新幹線でわずか3時間10分ほど。

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特急「はつかり11号」と425レ
はつかり11号」が乗車する列車で、荷物を置いてホッとしながらの撮影です。隣に見えるEF80は、旧客による平(現 いわき)行きの425列車。この頃は上野駅でもまだ旧客が健在でした。
乗車したのは先頭車のクハ481-1507。かつて札幌~旭川で特急「いしかり」として活躍していた車両です。厳しい北海道の冬には苦しみましたが、東北の冬はへっちゃらだったようです。

この当時、東北特急といえば仙台の「ひばり」、盛岡の「やまびこ」、山形の「やまばと」、秋田の「つばさ」そして青森の「はつかり」「みちのく」がありましたが、485系は全て12両編成で、グリーン車、食堂車付きでした。
一部の「はつかり」と「みちのく」が583系で13両編成。583系は、寝台特急としては食堂車は営業していませんでしたが、「はつかり」「みちのく」では食堂車が使えました。

はつかり11号」では、ほとんど車内録音をしていました。メタルデンスケ(TC-D5M)という機材を使っていました。駅弁の幕の内弁当を一回り大きくしたくらいの大きさでしたが、当時はこれでも画期的な小ささでした。20年以上も販売され続けたベストセラー機でした。

はつかり11号:上野発15:30 青森着0:13
1便(摩周丸):青森発0:35 函館着4:25
北海(キハ82 29):函館発4:50 札幌着9:22

混雑している中での乗り継ぎなので、悠長にホームで撮影している余裕はありませんでした。

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で、日付は変わって札幌駅です。特急「北斗4号」と特急「オホーツク3号」
函館から4時間32分かけて札幌に到着しました。乗車した「北海」は、右側の5番ホームに居るはずです。
道内の気動車特急は全て80系です。そして全列車食堂車付き。高らかに鳴り響くエンジン音が札幌駅を活気付けていました。ホームの柱には、灰皿とか郵便ポストが備え付けられていた時代です。

昭和56(1981)年12月29、30日