マニ50 2156
DE10 501
見慣れたDD13は姿を消していました。
DE10の500番代のトップナンバーです。500番代は貨物、入換用の区分車です。DE15のような旋回窓がいかにも北海道の車といった風情です。JRに継承されることなく国鉄最終日に廃車されました。
特急「おおとり」
この2か月後に80系気動車による定期運用は終了し、昼行特急から食堂車は消滅しました。
函館~網走間700kmを10時間かけて走破した「おおとり」は、JR化後の昭和63(1988)年3月、青函トンネル開業時に「北斗」と「オホーツク」に分離され、「おおとり」の愛称名は消滅しました。
この2か月後に80系気動車による定期運用は終了し、昼行特急から食堂車は消滅しました。
函館~網走間700kmを10時間かけて走破した「おおとり」は、JR化後の昭和63(1988)年3月、青函トンネル開業時に「北斗」と「オホーツク」に分離され、「おおとり」の愛称名は消滅しました。
食堂車「キシ80 37」(特急「おおとり」)
ラストナンバー車です。それまでの車に比べて窓が大型化されベネシャンブラインド内蔵の二重窓が採用された1両きりの異色車です。
DE15 1
除雪車DE15のトップナンバーです。出会ったのは名寄機関区時代以来かもしれません。前頭車用の連結器を装備したままということは冬季には除雪車として運転されていたのでしょうか。DD15も夏季には貨物列車を牽いたり入換をしたりしていましたし。
DE15の中では唯一JRには継承されず、国鉄最終日に廃車となりました。
この頃はまだ国鉄が分割民営化されるという切迫感はありませんでした。貨物列車が激減し、ヤードが廃止され、機関車や貨車が大量に廃車となり、郵便車や荷物列車が消えるなど、わずか2,3年の間に大きな動きがあり過ぎて感覚がマヒしていたのかもしれません。ただしこの2か月後、急行「ニセコ」と特急「北海」が廃止されるということで、有休を取って撮影に訪れました。急行「ニセコ」は臨時として存続されましたが、56系気動車による運用であり、客車による急行列車としては廃止でした。個人的には国鉄末期を象徴する出来事でした。