ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

四国

四国には一度しか行ったことがありません。何を考えて、何を目的に行ったのかはすっかり忘れてしまいましたが、足掛け5日間でぐるっと撮影してきました。

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撮影のため最初に降り立ったのは小歩危駅で、そこから国道を歩いて撮影場所を求めましたが、思うように探せないまま隣の大歩危駅に到着してしまいました。想像以上に険しい地形で、撮影地ガイド本で予習したわけでもなく、初日から先が思いやられます。

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唯一の郵便気動車キユ25 1。全国的にはオユやスユといった郵便客車が、またキハユ、キハユニ、キユニといった郵便荷物気動車などが主流で、キユ25は気動車王国である四国ならではの形式といえるでしょうか。形式写真らしい姿で撮れなかったのが心残りではありました。(阿波池田駅

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四国の列車の大きな特徴は、急行列車に掲示された円形愛称板。左右のどちらに取り付けるのか、何か決まり事でもあったのでしょうか。行先サボは、行先ごとに色分けされていました。また駅名標には駅名のローマ字表記がありませんでしたね。何かにつけ、他の地域とは差異が見られました。(阿波池田駅

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四国の特急列車は全てキハ181系気動車。見慣れたキハ82に比べるとゴツイ表情が特徴でしょうか。日付が変わった深夜、高松駅を左の急行「うわじま1号」で発ち、早朝、ここ宇和島に到着しました。ここから予土線普通列車に乗り換えて、家地川駅へ向かったのでありました。中村ループで撮影するためですが、他にも深夜高松発の夜行普通列車を利用し、荷稲駅で下車する方法もありましたが、どうして時間のかかる宇和島経由としたのか、さっぱり記憶にありません。

この時の撮影旅行では初日を除いてあまり天候に恵まれず、予想すらしなかった降雪に見舞われるなどしたため、走行シーンの撮影よりも、駅撮りや乗車して車内アナウンスを録音することの方が多い結果となりました。四国はなかなか手ごわかった。

昭和59(1984)年3月17、18日