ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

只見川第一橋梁

只見川第一橋梁なのか、第一只見川橋梁なのか、一体正式名はどちらなのでしょう。まあどちらでもいいんですけど。

只見線には国鉄末期に初めて訪れました。磐越西線のついででしたが。
その最初の撮影場所が第一橋梁で、その時には地図を頼りに撮影場所を探し、今では廃道になった所から横狙いをしようとして時間切れ、敢え無く撃沈しました。その時に、何とかモノにしてやろうという思いが沸々と込み上げて、それ以来幾度となく撮影に訪れました。
下の写真の場所を探し当てたのは2年目の4回目の時でしたか、今ではすっかりメジャーなお立ち台になりましたが、当時は鉄塔への獣道の途中にロープ(ゴム製だったかもしれません)が沿って張ってあって、それを伝って、えいやと上ったものです。遠く、左手の方には第二橋梁が見えましたね。

イメージ 1
秋の只見線は感動モノですが、息を飲むほどの紅葉に当たったことはありませんでした。日頃の行いのせいでしょうか。橋の色がまだ紫色になる前で、車両も国鉄色ばっかりだった頃です。この時は他に鉄ちゃんが二人おりました。同時撮影した8mmビデオには、モードラ音とシャッター音が盛大に入っております。

俯瞰を撮り終えてそこそこ満足し、次は川っぺりに降りてみます。この場所からだと足元のトンネルをくぐって一旦会津檜原へ出て、そこから初めて訪ねた廃道をしばらく歩いた後、道を外れ、草を掻き分けて川っぺりに降りてゆきます。そこに手漕ぎボートの船着き場を見つければ、そこが撮影場所です。

イメージ 2
列車が来る少し前から風が出てきて、水鏡は失敗。せっかく晴れたのに。いや、晴れたから風が出てきたのかな。

以上2枚は、8mmビデオと一緒に6×4.5で撮影したもので、その前の時には35mmで、数年後の冬にはベータカムだけで撮影しました。結局、イメージ通りのモノにはできませんでしたが、やっぱり日頃の行いのせい?

平成元(1989)年11月4日 会津西方会津檜原