ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

宗谷本線のC55

友人はC55が一番好きだという。水かきのついたスポーク動輪が恰好いいのだそうだ。当時、北海道でC55が走っていたのは宗谷本線だけで、旭川稚内の全線を走破していた。

ということで実際にC55に会いたくなったので、旭川発の321列車と、名寄で交換する稚内からの324列車に乗車することにしました。

札幌を急行「かむい」で発ちます。白石を抜けると札幌近郊とは思えないような原野が広がりますが、右側の車窓にはコンクリート橋が北広島方面に伸びています。高架橋というのは都会の中にあると思っていたので、この光景は何とも奇妙でした。

旭川に到着し、乗車する321列車に乗り換えます。
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牽引機関車は元流線形のC55 30です。キャブの天井の丸みがその名残ですが、実際に流線形を見てみたかったです。
機関車のすぐ後ろの1両目に乗車しますが、ほとんどデッキに居座り、撮影したり録音したりしていました。出入り台扉を開けて外に身を乗り出していると、車掌さんがやってきて「危ないから戸は閉めて」と注意され一旦は扉を閉めますが、車掌さんがいなくなるとまた扉を開けてちゃんちゃらちゃ~ん。
貫通路からも外気が入ってくるので、寒いっちゃあ寒いですけど、そんなことよりブラストと汽笛を聞きながら、列車に揺られている幸せにどっぷり浸かっておりました。
蘭留からは、小説にあった塩狩峠に向かって上り勾配に挑みます。列車の最後尾にはディーゼル機関車が連結されていますが、雪煙でよく見えません。DD53だったらいいのに。

楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもの。夢のような2時間を過ごして名寄に到着です。ここで降りて、上りの324列車に乗り換えます。乗車券は昨日のうちに新琴似駅で買ってあります。すでに324列車は到着しており、乗り換え時間はわずか5分。急いで跨線橋を渡り、列車の最前部に向かい、機関車を確認します。C55 50でした。このまま列車に乗るつもりでしたが、なんだか発車を見たくなったので乗るのを断念し、その後の急行「なよろ」で一気に札幌へ帰ることにします。
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ホームから降りて急いで撮影。この撮影後ホームに戻り、発車を見送りました。

帰宅してから録音したテープを聞いてみると、風の音ばかりがボーボーやかましく、たまに汽笛が鳴るという、結構情けない成果でありました。中坊の出来としてはこんなもんですか。

昭和47(1972)年1月1日 名寄駅