ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

C57 130とC57 131

田中 泰三様とSAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20211103232255j:plain

昭和43(1968)年3月17日 人吉機関区

よもや北の果てに追いやられるなどとは微塵も想像すらしなかった頃。

 

f:id:railway-photo:20210430075347j:plain

隣に並ぶ324列車で南稚内から乗車し、名寄駅でこの321列車と交換。門デフのC57だあ!とビックリ。でも、雑誌で見た門デフとは何か感じが違います。今気づきましたが、向かって左側上部ステーにはリンゲルマン濃度計が設置されています。通常だと背の高い支持金具に取り付けられますが、この機関車では直接ステーに固定されているので位置が低いです。

 

f:id:railway-photo:20210430075405j:plain

この門デフはN-3タイプと呼ばれるもので、この機関車独自のもののようです。前ステーは2本ずつのまま変わりませんが、除煙板は切り詰めされた上で、向かって右側にコの字型の手摺が追加されています。上ステーは、屏風の上端がアールにかかる位置に取り付けられていますが、もともとはまだ10~20cmほど直線部を残した位置に取り付けられていました。北海道ではわずか半年程度の運用であったのにもかかわらず、いじる必要性なんてあったのでしょうか。

旋回窓、補助灯が設置され、後部標識灯は北海道らしい位置に据えられました。ドーム前の扇形手摺も旭川区で交換されたものと思われます。

流石に手間のかかる密閉キャブ化はされていません。

 

f:id:railway-photo:20210430075423j:plain

旭川から稚内までのロングラン。一旦客車から切り離されて、火床整理と給水を行います。蒸機がいかに手間がかかる機関車であるか、このシーンからだけでも想像に難くありません。

昭和49(1974)年9月29日 名寄駅

 

f:id:railway-photo:20210430075439j:plain

昭和49(1974)年12月17日 旭川機関区

冬季運用に向けてSGホースが掛けられていますが、すでに休車となっていた頃かもしれません。宗谷本線の客車列車は、この12月でDLに置き換えられました。

3輌のC55を置き換えたC57には87号機と今回の130号機の他、もう1輌、186号機がおりました。

車歴は↓こちら。

C57130 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

 

f:id:railway-photo:20210430075627j:plain

昭和42(1967)年8月1日 新津駅

車歴は↓こちら。

C57131 機関車データベース (形式C57) - デゴイチよく走る!

廃車になったばかりの姿で、後ろのキューロクとともに貨物ホームと思しき場所に留置されています。

旋回窓、キャブ屋根の後方延長、ドーム前の手摺、煙室扉の蝶番はリブ補強、といった辺りに特徴が見られます。