ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

1番違い

宝くじや年賀はがきのクジで、あるいは競馬とか競艇、アパートの抽選とかでも、1番違いに泣いた方は多いことでしょう。鉄道車両の車番でも、1番違いでガックリすることは珍しくありません。

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D51 24を初めて見たのは苗穂機関区で、この頃はまだ知識に乏しかったので、この番号を見た時、一瞬ドッキリしました。元スーパーナメクジか‼❓20何番かだったハズ。急行「ニセコ」の前補機に27号機が付いているのを見たことはありますが、その時にはそんなことは微塵も思いませんでしたが、この24号機の前ナンバープレートは数少ない形式入りです。なので、もしかすると・・・と思ってしまったわけですが、この頃、スーパーナメクジだった22、23号機はとっくに廃車になっておりました。1番違いで残念!と思っても、1番違おうと100番違おうと、別物は別物ですから惜しいも何もありません。宝くじの前後賞のようにはいきません。
と頭の中では理解しても、やはり「惜しい」という気持ちはなかなか捨てがたいものであります。
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北海道のD51若番機には、標準形トップの86号機、門デフ(長工デフ?)の62号機・95号機、製造トップの14号機、標準形改造の54号機、煙室前部が角ばった15号機など、何かと話題のカマがおりましたね。

昭和47(1972)年4月9日 苗穂機関区