ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

清水港線最後の頃

数年間だけでしたが清水市に住み、特に力を注いだわけではありませんが、清水港線の撮影は回数を重ね、いつしか終焉の時を迎えてしまいました。道路に沿った平坦地を走り、沿線にはこれといった絶景ポイントも見つけられず、それでもDD13が牽引する客車列車は、それだけで価値あるものだったと、今更ながらに思ったりするわけです。
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折戸駅
ヘッドマークを掲出した臨時列車も運転され、客車列車はどれも高乗車率。


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巴川口→折戸
三保半島の内側をぐるっと回り込む割には、案外と曲線部が少ない印象でした。

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巴川口→折戸
鋼製のサイロを背景に。同期のヤツがこの現場を預かっていました。

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巴川口→清水埠頭
名所、昇降橋である巴川可動橋。背景のクレーンが、この路線の特徴を示しているようです。

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清水埠頭→巴川口
逆方向から見た光景。列車が通過する時だけ、橋は降ろされていました。

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川口駅
う~ん、駅のどこで撮ったのかも覚えていません。駅舎もあったのに、なぜか印象が薄い駅でした。

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折戸→巴川口
これもどこで撮ったのか記憶にありません。撮影した状況は覚えているのに、なんででしょう。単にバカだからでしょうか。否定はしません。

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巴川口→折戸
「テンジンヤ」って今でもあるようです。目立つなあ~。そして機関車ばかりが目立ち、貨物列車全体が分からないのはいかがなものか。思えば、貨物列車の編成写真ってほとんど撮っていませんでした。貴重な貨車がたくさんあっただろうに、やはりおバカっぷり全開でしょうか。

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折戸駅
1~3月にかけて、この地域は晴天に恵まれます。富士山も結構な頻度で姿を現します。沿線のどこからでも富士山は見えましたが、列車と絡めてとなると、なかなか思い描くような場所は見つかりませんでした。折戸駅付近では上り列車の真後ろに富士山が見えましたが、住宅が密集しているために色々な物が入り混じり画面処理に困りました。
だ~か~ら~、編成が分からんっちゅうに。

清水港線は昭和59(1984)年3月31日をもって廃止されました。線路跡の一部は自転車・歩行者専用道路として、折戸駅・三保駅の跡は公園として整備されているようですが、沿線の風景がすっかり変わった今となっては、当時の様子を偲ぶのは難しいように思えます。

昭和59(1984)年2月11~12日

※廃止直前には、DD13の他にDE10も入線しておりました。