ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

修学旅行で鉄

私の高校時代の修学旅行は京都、奈良でした。札幌から東京までは在来線と青函連絡船を乗り継ぎ、東京からは新幹線で京都へ。メインであるお寺回りなどは何にも覚えちゃいませんが、鉄関係の方だけは写真を頼りに多少は思い出せます。

東海道新幹線には初乗車でしたが、その頃の0系は、耳ツン現象がまだ残っており、なかなか不快な気分にさせられたものです。こんな電車、もう二度と乗るものか!と憤りましたが、その7年後、就職すると出張でしばしば乗らざるを得なくなりました。でもその時には耳ツンはほとんど起きませんでした。流石国鉄、進化してるう。まだ0系しか走っていなかった時代のお話。
不快な新幹線ではありましたが、在来線に目を向けると雑誌などでしか見たことのない電車があっちにもこっちにもあってウハウハなハイ状態にさせられ、同級生からはさぞや異様に見えたことでしょう。

そんな思い出の中からスキャン済のものをほんのちょっとだけ。

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キハ17 4 京都梅小路蒸気機関車館の外れ
非電化区間のローカル列車を無煙化すべく誕生した記念すべき気動車。非力で車内は狭いといった欠点はあるものの、全国各地に配備され、機関車の煙で悩まされることはなくなりました。後に両運転台のキハ10、キハ11、キハ12、便所無しキハ16も登場。基幹形式がキハ17なので、この系列をキハ17系と言いますが、キハ10系の方が言い慣らされているかもしれません。

以下、京都市
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もはや、撮影した場所も分かりません。自由行動で、プラプラ歩きながら撮影したものだと思います。この4年後に、地下鉄の開業に伴い廃止されてしまいました。観光客にしてみれば、電車の窓からのんびりと古都の街並みを眺めるのも悪くなかったのでは。

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多分、京都駅かと。当時は興味の対象にもなっていなかった103系電車。でも、北海道人からすれば「あの有名な国電」ということで、写真の1枚も撮りたくなるというものです。

カラー写真を見れば、紅葉に染まるどこかの境内とか写ってはいますが、神社仏閣を回るよりも(どうせろくに見ちゃいないんだし)、京都駅でまる一日を過ごしたかったというのが本音であります。
因みに後続のグループ(10クラスを3つのグループに分け1日ずつ日程をずらして動きました)は国鉄ストに直撃され、東京で余計に1日を過ごしました。羨まし~~~。

昭和49(1974)年11月24日