ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

栗丘にて珍客現る

春うらら、穏やかな陽射しの下、雪解け間もない下草も短くすっきりこんの沿線で、誰に邪魔されるでもなくのんびりと撮影しておりました。

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煙が薄いとかそんなことなどどうでもよくて、今この至福の時にどっぷりと浸りながらシャッターを切りました。今時の人なら、即、液晶モニターで撮影したばかりの写真を確認するところでしょうが、この時も私は列車が通過するのをず~っと見送っておりました。

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最後尾を見送ると、すれ違うように下り線(今は廃線になっています)に何やら珍妙な列車がやってくるではありませんか。真っ赤な車体の、それでいて車体は古めかしい。屋根の上にはパンタグラフのようなモノまで載っている。一体なんですか?

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望遠が欲しい・・・などと思いながらも、珍しい車両が撮影できてかなり得した気分になりました。

この車両、キヤ92いいますねん。種車はキハ07-200で、電気検測試験車ですねん。それまでこの種の試験車は電車しかなかったのが、気動車では初登場の試験車ちゅうわけや。今でいうところのEast-iDゆうこっちゃ。
そもそもこの車両が走ったのはSLファンのお蔭、もとい、せいや。当時の新聞記事を引用するで。

北海道新聞 昭和50(1975)年4月5日
SLファンの仕業? 室蘭本線の電線切断 集音マイク仕掛け
 空知管内栗沢町栗丘の国鉄室蘭本線で四日、レールの継ぎ目に配線している信号用電線が切断されていた事件を調べている札幌第二鉄道公安室は、蒸気機関車(SL)ファンが機関車の音を録音するために同電線を曲げて集音マイクを仕かけたことから切れたらしいとの見方を強めている。
 同公安室の調べによると、同電線は直径約五ミリ、長さ約二十センチでレールの継ぎ目ごとにレール側面にぴったりつけられているが、切断の状況から見てSLファンが同電線を外側に引っ張ってレールとの間に空間を作り、このすき間に集音マイクをはさみ込み、通過する機関車の音を至近距離で録音、この後マイクをとり外すさい同電線を上に向けてねじ曲げたために通り過ぎる列車が同電線をひき、切断した-という疑いを濃くしている。
 現場は近くにあるトンネルに出入りするSLを撮影するのに絶好の”名所”。今年限りですべて姿を消すとあって全国各地から連日四十人前後ものファンが押しかけている。ファンたちはSLが遠くから徐々に近づき、目の前を通り過ぎ、再び通り過ぎるまでをどうにかしてレールに最も近い場所で撮影、録音しようとやっきになっているため、とかく線路に近づき過ぎて危険なことから、道総局は一日から公安職員のパトロールを強化していた。

ちゅうことで、ボンド線を改修した後にこのキヤ92を走らせてレールに信号がちゃんと流れているかを確認していたとこういうわけや。

何で関西弁かって?だって当時、沿線で声のでかいヤツはたいてい関西弁やったんや。関西人でない連中まで怒鳴り散らす時にはなまっていたっちゅうし。「こらそこどけ、このボケ」とか。

蒸機末期、いわゆるSLファンはあちこちでトラブルを起こしており、今の撮り鉄の悪行なんぞかわいいものよ。線路に伏して撮影し列車を止めた高校生もおったわな。撮影現場では場所取りで血の抗争もあったというし、いつの時代でも鉄道ファンは群れるとろくなことをしないようだわ。

どうしたもんじゃろのう~。

昭和50(1975)年4月9日 栗山~栗丘