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昭和49(1974)年3月 岩見沢駅
「スト権ダッカン」って、スト権ないのにストをしている矛盾。つまり順法ストではなく違法ストであることを自ら認めていたってことでOK?
密閉キャブと切り詰め除煙板で、C57本来の優美さは失われました・・・と云われても、そんなこと全然気にも留めていませんでした。
昭和49(1974)年11月3日 早来駅
前面には灯具掛けが目立ちます。前照灯向かって右側に照明を掛けたことはあるのでしょうか。
ドームと逆止弁の間に扇形の手摺がありますが、これが北海道型のようです。ないものもあります。
旋回窓と防護網は機関士側だけ。
昭和49(1974)年11月3日 栗丘駅
列車から降りてすぐさま機関車の前まで走り捉えたC57の一コマ。木造の駅舎では、毎日訪れるファンに駅員さんはハラハラしていたのではないでしょうか。この当時、跨線橋はありません。
除煙板の切り詰めに伴い、フロントデッキの手摺は38号機とは異なり、除煙板に取り付けられる格好となっています。
昭和49(1974)年12月27日 追分駅
こういう場所で普通に撮影させてもらえた良き時代。背景には多くの貨車群が次の出発地へ向けて待機しています。
昭和49(1974)年12月31日 沼ノ端~遠浅
右手が超有名なお立ち台がある丘。今は木が伸び放題かと。立ち位置の頭上付近には上り千歳線がオーバークロスしています。広田尚敬さんが、SL最終列車をこの丘の上で撮影されていました。画面左側には、保線小屋が建っていました。
昭和50(1975)年11月2日 岩見沢駅
しばらく見ていなかったので廃車になったのかなと思っていたら、見事に復帰していました。いよいよ全廃迫る頃です。ホームから降りて、みんなここで撮影していました。この後、ストに入って列車はウヤばかりとなり、ファンはやきもきさせられました。
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