ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

由仁・追分

由仁駅に戻る前に、ちょちょっともう少しだけ撮影していきました。

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古山→由仁 DD51 603
蒸機を撮影に来たのですが、DD51もちゃんと撮影してゆきます。フィルムが余っていたし。

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古山←由仁駅
また上り列車がやってきました。今では信じられないくらいに貨物列車が走っておりました。現在の貨物ファンがこの時代に行ったならば狂喜乱舞してチビっちゃうこと間違いありません。

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追分→安平
追分にやってきました。どーしても風景的なものを撮りたくてこんなん撮ってしまいました。トラックが走っているのは当時の国道です。今の国道は立ち位置のだいぶ後ろの方を走っています。

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東追分←追分
こちらは夕張線です。国道234号線をくぐります。当時はこんな位置ならほぼOKでした。でも、やはり線路際で標準レンズを使うと似たり寄ったりの絵になってしまいイマイチです。シャッターが早すぎるので尚更です。早い話、下手ということで、ダメだな自分。

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追分駅
駅に戻ると19650が入換をやっておりました。9600のブラストはなかなか聞きごたえがあり、写真が撮り辛い夜間なら生録が面白そうです。で、この19650ですが、三つ目で有名でした。でもこの時は二つ目になっておりました。二つ目の9600は胆振線のカマが有名でした。

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DD51 633
DD51が休んでおりましたので1枚。釧路のカマですが、ラジエターカバーがちゃんと付いているのがこの機関区所属車の特徴でした。内地では当たり前でしたが、北海道では検査時に取り外す際「重い!」とかいう理由で多くの機関区では取り付けないでいたそうです。それで運転に支障がなかったのでしょうね。1052号機からはその声を受けてか、ラジエターカバーは1枚ものから分割タイプに変更されました。これで北海道のDD51もちゃんとラジエターカバ-を取り付けるようになったとさ。
因みに1057号機は事故に遭って修繕でもされたのでしょうか、どちらか忘れましたが片側が1051号機以前の1枚もののラジエターカバーを付けておりました。

昭和50(1975)年6月29日