ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

9か月ぶりの追分

その年の4月に追分機関区で火災があり、多くの車両が焼失しました。なかでも、保存機に指定されていたD51数両が焼け落ちてしまったのは、何とも残念でなりませんでした。その様子を確認しようと、追分に向かいます。

イメージ 1

イメージ 2
札幌駅 831列車 ED76 506
全検上がりなのか、ピッカピカのED76は、ナンバーがブロック化されていました。

イメージ 3

イメージ 7
岩見沢駅(岩見沢第一機関区)
かつてはいつも蒸機が待機していた構内でしたが、この時はDD51 1160がひとりポツンと侘しそう。ナンバーを見てD51 1160を偲びます。

イメージ 4

イメージ 5
1006M 特急「いしかり3号」
特急電車が走り、函館本線も垢抜けした印象です。

イメージ 6
栗沢駅 227列車 DD51 1150
228列車に乗車して追分へ向かいますが、途中、栗沢駅で227列車と交換します。いやがうえにも、C57同士の交換シーンを思い出して溜息をついてしまいました。

追分に到着すると早速、無残な姿に変貌した機関車が目に飛び込んできました。

イメージ 8
D51 241
終生を追分で過ごし、最終の蒸機貨物列車を牽引した栄えある機関車でした。いわば、旅客のC57 135に対して貨物のD51 241でした。せっかく地元での保存が決まっていたのに残念なことです。しかも苗穂工場製の機関車でしたからね。
代わりにD51 320が大切に保存されています。

イメージ 9
D51 603
一方603号機は、国鉄最後の検査出場蒸気機関車でした。昭和50(1975)年10月3日、苗穂工場では出場の際に式典を行い、1500人もの職員に見送られたといいます。

イメージ 10
DD51 682

一方、構内ではエンジン音を響かせてDE10が入換に勤しんでおります。
イメージ 11

イメージ 12
DE10 1732

事務所に行き撮影許可をもらい、初めて機関区の中に足を踏み入れます。
イメージ 13
DD51 49、DD51 1079か1103、D51 1086
扇形車庫は崩壊し、機関車は野ざらしです。九州からの応援でしょうか、DD51 49がおります。ナンバー部が赤いのは九州機関車の特徴なんで(昭和53年時点では米子機関区)。その隣には焼けたDD51D51 1086が。

イメージ 14
DE10 1744、DD51 1169、DD51 683、DD51 1144

イメージ 15
D51 603


イメージ 16
D51 241、D51 603、D51 465

イメージ 17
DD51 682

イメージ 18

イメージ 19
DD51 684
すぐ近くに完全にひっくり返っているDD51もいましたが(1079か1103)、カラーポジで撮影したのでここでは割愛させていただきます。

イメージ 20
DD51 1169
北海道機では一番大きな番号でした。つまり一番若い機関車でした。落成日は昭和50(1975)年9月24日ですから、焼失まで僅か7か月です。

イメージ 21
DD51 683

イメージ 22
DD51 1144
燃えなければブルートレインを牽くことがあったかもしれません。

イメージ 23
229列車 オハフ62 10
帰りは重い気持ちを引きずったまま列車に乗り込みました。

岩見沢駅で乗り換えますが、もうすっかり暗くなっていました。

イメージ 26

イメージ 27
405D 急行「狩勝3号」

イメージ 24

イメージ 25
836列車 ED76 501
行きも帰りもED76牽引の客車です。
 
イメージ 28
札幌駅 1013M 特急「いしかり7号」

受験まで残り半年の焦る気持ちに拍車をかけるように、今回の撮影はズッシリと重い気分を倍増にしてくれたのでした。

因みにD51の鉄くずとしてのお値段、134万4200円也。(北海度新聞 昭和50(1975)年12月25日付けの記事より)

昭和51(1976)年9月13日