ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

徹夜で生録

今でも録音機を使って駅や車内のアナウンス、また乗車してエンジン音やモーター音を生録するファンはいると思いますが、それは蒸機の時代もそこそこ盛んでした。蒸気機関車のレコードが各社から発売され、私も親にねだって買ってもらったことがあります。ヘッドホンを耳にあてて目を閉じて聞いていると、本当に列車が通過するかのような臨場感を味わい、とても驚いたものです。それを自分でも記録してみたいと思うのは自然なことだったでしょう。

で、生録です。兄が英会話の勉強に使うという口実で親に買ってもらったラジカセを拝借して、何度か生録に挑戦しました。しかし悲しいことに、そのラジカセはモノラルでした。でも当時はモノラルであっても、とにかく音が記録されていればそれだけでそこそこ満足しておりました。
一度、友人からラジカセ(やはりモノラル)を借りて、2台同時に録音したことがあります。マイクを左右別方向へ向けて録音し、それを同時に再生すればステレオに聞こえるのではないかと思って挑戦してみたのです。結果は、再生時に完全な同期が取れなくて、見事に失敗でしたが、今ならパソコンを使ってその二つの音源を取り込み、案外簡単にステレオ音声を作成できそうです。

夏休みのそろそろ大詰めを迎えた8月中旬、兄のモノラルラジカセを引っ提げて追分に向かいました。鉄ちゃんとしてはありえない、夕方の出発でした。札幌から乗車した追分行きの列車は、今でこそ石勝線を使って特急でGOですが、当時はまだ石勝線は建設中で、札幌から追分は岩見沢経由でした。小樽発追分行きの835列車といいました。
この列車は、岩見沢からD51が牽引しました。

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牽引機は、幸先よく赤ナンバーの165号機でした。乾電池とカセットテープを節約したかったのか、乗車しての録音はしておりません。当時はどちらも高価な品物で、そうそう矢鱈メッタラ使えませんでした。

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追分に到着したのは19時半近くでした。もうすっかり陽が落ちて、あたりは真っ暗です。その中にあって、蒸機が上げる煙や蒸気が照明に照らし出され、何ともいえない幻想的な風景を編み出します。

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現在の姿からは想像もできないくらい、追分駅は一晩中、貨物列車の着発や通過で賑わっており、また入換で9600が忙しく走り回っておりました。夜中だと少し離れた国道を走る車の通行量が減り、また音が澄んでくるので録音にはもってこいでした。

線路に沿った職員用の通路で夜通し、電池が切れるまで録音や撮影に興じていました。しかし徹夜なんてしたことがなかったので、夜明け前あたりから意識は朦朧としてきて、体がきつかったことの印象の方が強く残ってしまいました。

昭和50(1975)年8月11~12日