ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂駅で

日中、北広島でたっぷりと撮影を楽しんだ後、どうした風の吹き回しか、その帰りに苗穂駅に立ち寄りました。なんでかな~?

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跨線橋から苗穂機関区を望みます。他区のDD51がゴロゴロしています。苗穂機関区はJR化直前の昭和62年3月に苗穂運転所へ改称したそうな。

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17:48 543D(札幌発夕張行き)
石勝線開業前には、岩見沢経由で夕張へ直行する列車がありました。所要時間は3時間23分。進行方向は岩見沢と追分で変わりました。それ以前には急行「夕張」なんて列車もありました。

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今度は荷物ホームを望みます。今となっては信じられない光景です。

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3・4番ホームへ降りて、機関区に並ぶ機関車たちを見ます。かつて多くの蒸機たちがこの場所に佇んだシーンを思い出さずにはいられません。

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帰りの列車に乗車するため、1・2番ホームに移動しました。3・4番ホームでは駅長さんか助役さんが列車を迎えます。

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18:05頃 L特急「いしかり6号」
この当時は、1・2番ホームと3・4番ホームの間に留置線はありませんでした。現在の線路配置になったのは平成6(1994)年のこと。この当時の跨線橋の窓にはガラスがなかったのですね。冬はキツそう。

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18:09 737D(千歳発札幌行き)が到着するところ
乗車する列車が到着します。ホーム上に描かれている半円形の白線は、安全確認の立ち位置を示しているのでしょうか。

この日は余程エネルギーが余っていたのでしょうか。引き続き「西4丁目」電停で市電を撮影しています。
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流石に手持ちは厳しいので三脚使用です。Y線化される前の姿。

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堂々と車道に三脚を立てて撮影しています(ブレているけど)。この日は歩行者天国でした。でも誰も歩いていません。

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記念撮影。横断歩道には車両進入禁止のバリケードが立ててあります。今は自撮り的記念撮影はやらなくなりました。思い出作りそのものに興味を失いました。

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歩行者天国は20:00まででしたか。フィルムがなくなったので、ようやく帰途につきました。多分、相当にお腹が空いていた筈。

昭和52(1977)年8月15日