ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

徹夜明けの志文、萱野

徹夜明けで朦朧としてくるとダイヤを確認するのも面倒になってきます。で、こんなわけの分からない写真を撮ったりして。

イメージ 1
三川・東追分~追分
奥は夕張線の下り貨物列車、手前は室蘭本線の上り貨物列車。多分、場所を探すこともなくぼけ~っとしているうちに列車が来たのでしょう。もう覚えていませんけど。

で、追分駅に戻ります。
イメージ 2
追分駅 入換
ぼ~っとしていたからうまく撮れたのかも知れません。傾き補正もしていません。無心で臨んだ結果でしょうか。まさか、単なる偶然でしょうね。

イメージ 3
志文駅 
よくぞ居眠りこいて乗り過ごすことなく下車できたものです。
追分方面を向いています。上り貨物列車が発車してゆきました。列車の左側が万字線になります。
万字線の分岐駅だからでしょうか、貨車がたくさん留置してあります。

イメージ 4
岩見沢→志文
旅客線をDD51が単機重連でやってきました。
この当時、志文~岩見沢間には通称 旅客線と貨物線があり、旅客線がもともとの本線で、貨物線は貨物列車が岩見沢操車場との出入りがしやすいように後から敷設された路線です。単線2本という扱いだったそうです。因みに現在残されている本線は、貨物線の方です。

イメージ 5
岩見沢→志文
上り貨物列車が旅客線を走ってきました。岩見沢操車場を経由しない旭川方面からの貨物は旅客線を走っていたのだと思います。
遠くに志文駅の跨線橋が見えます。そして右の線路が貨物線で、現在の本線になります。
徹夜明けの後遺症はなかなか抜けなくて、列車の来ない時間には座り込んで惰眠を貪っておりましたが、すぐ近くに警報機があるので、それが目覚まし時計代りになりました。ところが、追分でつまんない写真を撮ったものだからフィルムが足りなくなってしまい、何本か撮影をあきらめ、不本意ながら寝ておりました。

この後、幌内線の萱野駅へ向かいました。
最寄りの踏切で手抜き撮影をしようと思ったら先客がいたので断念、線路から離れた場所で撮ることにしましたが、せっかく節約したフィルムだったのに、ここでもまたつまんない写真を撮ってしまいました。

イメージ 6
岩見沢←萱野
駅を通過した上り貨物列車が、汽笛を鳴らしながら踏切で停車してしまいました。怒鳴り声が聞こえてくるので、どうやら線路に接近し過ぎたカメラマンが機関士に叱られているようです。あ~ヤダヤダ。

もう疲れちゃったので撮影は早めに切り上げて帰宅しましたが、岩見沢からの列車は混んでいて、札幌まで立ちっぱなしでした。もう何度も睡魔に襲われて、そのたびに脚をガックンガックンさせてました。徹夜がこんなにも辛いとは。もう二度と徹夜で録音なんてするもんか!と、その日だけ決意したのでした。

昭和50(1975)年8月12日