ローカル線の貨物列車が軒並み廃止へと向かっていた頃。DLだからなあ、などとは言ってられない気持ちが高まり、一度は撮りたかった石狩川橋梁へGO!
釜谷臼駅より石狩太美方を見ます。
石狩川橋梁の最寄りの駅といえば釜谷臼。あたりは林ばかりで、降りたら途方に暮れちゃいそうな駅です。待合室は確かコンクリート製ながら、ドアが開けっぱなしで虫の巣窟となっておりました。現在のあいの里公園駅からは想像もできません。
遠くにトラス橋が見えますが、よく見ると線路の中に人影が。私と一緒に降りた老婆が帰宅するところのようです。この当時はこの付近、札沼線以外に川を渡る道はなく、国鉄も渡橋を黙認していたようです。
石狩太美→釜谷臼(現 あいの里公園)
貨物の前の上り旅客列車でウォーミングアップ。右からキハ22+キハ56+キハ21+キハ21の4連です。撮影したことはないものの、早朝の下り列車の中には、回送車両も連結されていたのかもしれませんが、10連というものがあったと記憶しています。小学生だった、まだ石狩沼田まで線路がつながっていた頃には、上りの回送列車でキハ56系10連というのを登校時に目撃しました。当時は形式なんて知りませんでしたが、急行形であることや乗客が乗っていなかったのでそう判断した次第です。
石狩太美→釜谷臼
本命の貨物列車です。撮影している場所は、退避場です。ヤバイす。トラスの手前にも見えますね。張り出しています。でも警笛を鳴らされることもなく、列車は厳かに通過してゆきました。揺れるど。
線路の端には木の敷板があり、一般人が歩けるようになっています。これが国鉄職員向けならば、単に網板だけでしょう。線路の真ん中に敷いていますね。
釜谷臼駅の方を振り返ります。遠くに釜谷臼駅のホームと待合室の屋根が見えます。今回、PCのディスプレイで大きくして初めて気づいたのですが、駅近くには線路のど真ん中に人がおります。機関車が警笛を鳴らしたのかどうか、人がどうしたのかなんてことは、今となってはさっぱり分かりません。
別の日にはいよいよ橋を渡って石狩太美側で撮影するのですが、モノクロなので、アップするにはしばらく時間がかかりそうです。この当時は河川敷で馬を放牧していて、なかなかのどかでしたよ。
昭和52(1977)年10月1日