ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

初めての苗穂機関区

汽車に興味を持ったことで、父が苗穂機関区まで連れて行ってくれました。

おお、汽車が一杯!D51が移動する際、キャブに乗っけてもらい、床に落ちていた豆炭を記念にもらってきました。

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C58 416
苗穂のC58は、西の里(旧線)での補機や苗穂駅構内の入換に使われていました。地味な機関車というイメージがあり、釧網本線だけが特別に目立っていたように思います。実際には千歳線以外にも池北線、江差線松前線、そして室蘭線でも貨物や客車を牽いておりました。中型ながら万能機関車といわれ、最後まで残る蒸機と目されていましたが、実際には最後を飾ったのは老兵の9600でした。
幻の機関車C63はC58の改良型といえるものでした。

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D51 764
腰を落として撮影しています。威圧感が出て迫力が増すと考えたのでしたら、エライぞ自分。
ところでD51を「デゴイチ」と呼ぶのか、はたまた「デコイチ」と呼ぶのか、一部の老齢ファンは「デコイチ」が正しい!などと口角泡を飛ばして息巻いておりますが、どっちだっていいじゃんか。所詮、愛称なんだし。でも、まともにナンバーを読むならどう考えても「デゴイチ」でしょ。「デコ」って「デコッパチ」じゃあるめえし。それが普通の感覚っちゅうもんです。因みに内田百閒先生は「阿呆列車」の中で「デゴイチ」と表現されております。

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D51 656
除煙板の前の方が短く切り欠かれていません。私が北海道で見た、唯一の切り詰めではないデフのD51です。この切り詰めは函館本線の電化を機に実施された改造ですが、その理由が今一つ分かりません。検修時の感電防止とは聞いてますが、どうしてそういう関係になるのか理解できずにおります。

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転車台に乗る機関車の姿を初めて見ました。何しろこの時点で鉄ちゃん歴一週間ほどでしたので。
北海道はかつて多くの炭鉱を抱え、そこで掘削された石炭を港まで輸送するのに大型の機関車が用いられました。北海道では試験列車ではありましたが、この9600が3000トンもの貨車を牽引したと言います。EF210だって1300トンですよ。勾配の少ない室蘭本線での試験だったとはいえ、呆れる・・・もとい驚くばかりです。

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C57 38
旅客用だけあって、スマートな車体です。C57は4次形まで製造区分あり、4次形とこの1次型とでは別機関車の様相を呈しています。4次型はC59に近いスタイルと言われたそうですが、現役時代に4次型は見たことがなく、何年か前に旧神居古潭駅に保存されている201号機を見たのが唯一です。因みにC57は最初はC55として設計されたそうです。
宗谷本線のC55に代って旭川に配置された87号機や130号機などは、スタイルが個性的だったのにもかかわらず、C55を信奉するファンからの評判は良くありませんでした。補機のDD53も嫌われモノでしたね。だから熱狂的SLファンは嫌いだ。

この当時は9600、C11、C57、C58、C62、D51の区別はつきましたが、その用途や走行線区など、撮影に必要な情報は一切持ち合わせていませんでした。また、走行シーンを撮りたいとも思わず、単に機関車を撮影したいという気持ちだけでしたので、この後も何度か苗穂機関区へ撮影しにやってくるのでした。

昭和45(1970)年3月22日 苗穂機関区