毎度毎度の苗穂機関区です。
苗穂機関区では機関車は、車庫に頭から入れることが多いのですが、この時は珍しく頭を出しているD51がおりました。隣はC57とC58です。それにしてもバッチリ順光です。
転車台回りの線路に留置された変形機D51 54は、側面にバッチリ太陽を浴びています。
転車台から振り向くと、今度はド逆光。安いカメラの安いレンズではもう手も足もグウの音も出ません。って、ちょっと意味がちゃうね。
せっかくの形式入りナンバープレート機なのに、こんな中途半端なフレーミングをしたのも、ゴーストやフレアを抑えるためだったような気が。中坊だって一応は考えた。
座らずに、立って撮ればいいのにね。中坊は分かってない。自分だけど。
どうしても座って撮りたいんだ。構図は悪くないんだけどね。
いかにも機関区っぽい雰囲気はいいんだけど。
ここで給水をしてピットにアッシュを捨てるんでしょうね。
そこにD51がバックで、セキ車で石炭を運んできました。
その後を追いかけます。左のD51 308がセキ車をバックで押してきた機関車です。右には給炭槽、そして貯炭場かと勘違いしていたクレーン車の車庫。
後ろ向きのD51 165は給水中です。こんな職場のど真ん中で、中坊ごときがちょろちょろと撮影させてもらえたなんて、ホンマ夢のようですわ。TDLとかTDSなんて目じゃないって(当時はまだなかったけど)。あっちは作り物、こっちは本物。もしも今、タイムスリップしてこの時代の苗穂機関区へ行ったなら、号泣して撮影どころじゃないかも。おまけに怪しい奴だとばかりにお巡りさんに連行されちゃうかもね。連行されるなら機関庫の脇に留置してあった二重屋根の救援車がいいな。
などとつい、年相応の妄想を掻き立てられてしまいましたが、それはそれとして、こちらはこの2週間ほど前に新琴似駅で見かけたC11 129。なぜか正面を撮影していません。行き当たりばったりで行動すると、肝心なことを忘れて無駄なことをしてしまいます。
では最後も逆光で〆ましょう。
この頃は知識もストロボも持っていなかったので、逆光にはまるっきりお手上げでした。
昭和47(1972)年4月9日