ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

滝川へ

PCが訳が分からないうちに復旧しましたが、CMOS用のボタン電池を外してPCを起動したら不具合が直った、なんて事例は、ネットをぐぐっても見つかりません。固有の不具合なんてことも考えにくいし、摩訶不思議なことであります。

さて、その日は滝川へ向かいました。それも札沼線で。札沼線の名前は札幌(起点は桑園ですけど)と石狩沼田を結ぶことから命名されましたが、この時点ですでに新十津川~石狩沼田間は廃止されており、新十津川が終点でした。

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札沼線のどの辺りでしょうか。下徳富辺りでしょうか。

近所の新琴似駅から乗車します。2両編成でしたか、一番列車とはいえ車内はガラガラで10人かそこらしか乗っていなかったとメモがあります。

終点の新十津川で下車すると、そこから徒歩で滝川へ向かいました。滝川駅までは3kmほどです。途中、石狩川の長い橋梁を渡るともうそこは滝川の町。線路をつなげちゃえばいいのにと誰しも思うのではないでしょうか。
・・・なんて書いてはみたものの、実は以上の記憶は全くありません。10年ほど後に就職してからも同じように新琴似から乗車して新十津川で下車、歩いて滝川に行ったことは覚えているのですが、つくづく自分の記憶力の無さを残念に思います。

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江部乙→滝川 単1782 D51 347
なんか踏切から外れたところで撮っていますね。

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滝川駅 59613
ここは駅の南側になります。現在のコンテナヤード辺りでしょうか。トラ模様の入換用9600が休憩しています。その後ろのワムの屋根越しに、給炭用のクレーンが見えます。セキ車の陰に見えるのが、滝川機関区の車庫です。
少し離れた線路は機関区に続いているものと思われますが、そこにも架線が張ってあります。電気機関車も使っていたのでしょうか。夜行「からまつ」は滝川でED76とDD51の機関車交換をやっていましたからね。

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滝川→一ノ坂信号場 単5481 59669+D51 611
根室本線の列車です。この撮影だけは記憶に残っています。
かつては滝川~東滝川間には「一ノ坂信号場」が、東滝川~赤平間には「幌岡信号場」がありました。昭和56年に石勝線が開業するまで、滝川~新得間は重要な幹線であり、特急・急行の優等列車や貨物列車が行き交うこの単線幹線では、列車交換のための信号場が必要だったわけです。

以上が、この日撮影した全列車です。たった2本だけ。
撮影予定では、滝川駅周辺で夕方まで10本ほどの蒸機列車を撮影することになっていたのですが、一体どんな心境の変化があったのでしょう。自分でもさっぱり分かりません。思い出せません。勿論、帰りは函館本線で帰ったんでしょうけれども。

昭和49(1974)年3月17日