ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

59661と59669

SAMPUKU爺様の画像の転載はご遠慮ください。

f:id:railway-photo:20201217102044j:plain

昭和42(1967)年8月1日 新津機関区

車歴は↓こちら。

59661 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

過去にアップした49690同様、冬期間だけ使用されていた機関車なので、夏季は休車状態です。そしてまたやはり49690同様、キャブ屋根が延長されています。

煙室扉回りの手摺が申し訳程度しかなく、これだけでキューロクっぽくなく見えてしまいます。

元空気ダメの取り付け方は49690とは異なっています。ランボードの上に載せたり、ランボードを2段にしてその下にぶら下げたりと、機関車によって取り付け方法はまちまちです。

ナンバープレートの位置は、標準よりも少し高めですが、キャブ側面の区名札差しは低めになっています。

 

f:id:railway-photo:20201217102210j:plain

昭和49(1974)年3月17日 滝川~一ノ坂信号場(根室本線

車歴は↓こちら。

59669 機関車データベース (形式9600) - デゴイチよく走る!

重連貨物が撮れると心弾ませてやってきたのに、実際には単機でした。メモを良く見たら「単5481」って自分で書いてあるじゃん。後ろはD51 611。

滝川~東滝川の間には一ノ坂信号場がありました。そして東滝川~赤平間にも幌岡信号場がありました。石勝線の開業前、特急「おおぞら」や急行「狩勝」に加えて貨物列車も健在でしたから、本線らしく列車本数もそれなりにあった時代です。深夜にも貨物列車の他に夜行の急行「狩勝」や夜行鈍行「からまつ」も走っており、赤平駅などは夜通し開いていましたね。

トラ模様にフロントの柵状手摺と、入換機らしい姿ですが、赤平駅で入換をする傍ら、貨物列車も牽引していました。蒸気ドームが嵩上げされています。

除煙板のバイパス弁点検用の穴ですが、穴の両端から上方にリブみたいなものが伸びています。大宮区時代には蓋が付いていたようなので、それ絡みのものかもしれません。

川越線時代には前照灯の横には補助灯ではなく、後部標識灯を載せていました。

因みにこの日は札沼線新十津川まで乗車し、そこから歩いてやってきました。残念ながら札沼線の写真は1枚も撮っていません。せっかくの新十津川駅初訪問で、まだ駅員がいて引込線もあった頃なのに。