ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

稚内からの帰り

前夜、友人と共に急行「利尻」で南稚内へ行き、稚内機関区を訪問。それから旭川行きの324列車に乗車して帰宅しました。まさに稚内機関区だけがお目当てのような撮影行でした。客車牽引の機関車は、今回もC55ではなくC57 87でした。

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塩狩駅 駅員がいますね。
学生時代は、小説「塩狩峠」や「氷点」を皮切りに三浦綾子さんの小説を何冊も読んでは涙の感動を覚えたものですが、ある時ふと噓っぽく思えて(そりゃ小説だもの、嘘で当たり前なんだけど)一気に熱が冷めました。
塩狩峠」は事実を基にした創作なのにもかかわらず、世間ではノンフィクションのように思われている節があります。大体、人間一人が轢かれたところで、たった1両の客車とはいえ、果たして止まるものでしょうか。下手すりゃ脱線転覆して大惨事になったかもしれません。当時の客車は木造なので、転覆すれば車体は大破し、乗客の多くは良くて大怪我です。暴走と比べて、脱線転覆の危険性はいかに。
実際のところ、長野さんはうっかり転落しただけで、身を挺して列車を止めようとしたわけではなかった、ということも考えられるのではないでしょうか。国鉄職員なら、いくら事務職員とはいっても、レール上の障害物によって脱線する危険性は知っていたでしょうし。
資料がないため事の真相は闇の中ですが、この小説に限らず、クリスチャンを称えるような意図を感じてから読むのがイヤになりました。

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その塩狩峠をぐんぐん下ります。塩狩峠を訪れるSLファンについては、北海道新聞の記事にもなりました。


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そしてあっという間に旭川に到着です。すれ違うのは、以前、旭川機関区でお目にかかったギースルのD51 952、元 胆振縦貫鉄道の機関車です。

南稚内から7時間半あまりの汽車旅も終わりです。短かったあ~!
名残惜しい気持ちを抱えて旭川からは急行「かむい」に乗り継ぎます。めっちゃ混んでいてデッキに立つしかありませんでした。そんな中でも外が気になり、カメラの用意は怠りません。

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深川機関区 19609、キユニ17 1
窓からすかさず撮影しましたが、今はどちらかというとキユニ17の方が気になります。

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滝川機関区
駅の南側に給炭設備があります。夕方になり露出が取れずにブレています。

沿線に見どころがあると撮影に気を取られ、ゆっくりと乗車を楽しむ余裕がなくなってしまいます。汽車じゃないからいいけど。

昭和49(1974)年9月29日