ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

「苗穂工場に侵入」の真相

昨日の記事の真相たって、他の人にはどうでもいいことでしょうけど、当時のメモが見つかり、事実関係が判明しました。

当日は春の雪が舞い降り、こりゃ豊平川にでも撮影しに行くべえと思い立ったのがことの始まりでした。
札幌から乗った列車が苗穂駅に差し掛かる頃、例のC11 133(目撃した時には機番までは分からず)が目に飛び込み、それで予定を変更してこの機関車を撮ることにしました。
まずは、苗穂工場の守衛さんのところに行きました。が、
「許可できないの、諦めて」
あっさり却下されて引き下がるしかありませんでしたが、どうにも諦めきれずに、ならば機関区から入っちゃれと思い、次に苗穂機関区へ向かいました。
ここでは期待にたがわず、あっさり許可が下りました。
「あんた、この前も来てたよね」
と、対応してくれた職員さんの次の言葉にいささか愕然としたのでした。
「今日ね、夕張鉄道でさよなら運転があったの知ってる?SL重連だったんだよ」
う・・・知っていたらここに居ないでしょうに・・・。
ふと、職員さんの名札を見ると珍しくて見覚えのある名前。確認すると、その人は果たして同級生の父親でした。

これで堂々とC11の撮影へと向かいます。機関区から出発線だか到着線だか知りませんが、跨線橋のあるところまで歩いてゆきます。
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列車の窓から見た時には付いていなかったDD13が連結されていました。ちょうどそこに職員さんがいたので、この機関車をどうするのかと尋ねたところ、これから工場の中に入れるとのこと。
その職員さんが工場の人かどうかは確認しませんでしたが
「工場の構内で撮影したいのだけれど・・・」というと
「なら守衛んとこ行けば許可もらえるんでないかい」
「いや、それがダメでした」
「なら、好きに撮れや」
「え?いいんですか?」
「構わん構わん」
ってな感じのやりとりがあって、それで晴れて・・・とまではいきませんが、無断侵入しないでD51 828やD51 953や解体中の9600の写真を撮らせてもらった、というのが事の顛末でありました。
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イメージ 3

無断侵入したんじゃないかという自分で招いた疑惑を自ら晴らすことができてめでたしめでたし。

水をたっぷり含んだ春の雪にしとどと濡れながらも、暖かい気持ちで同級生の父親にお礼を言い機関区を後にしたのでした。

昭和50(1975)年3月21日