ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

何故か札幌駅で

ホントにもうどうしようもないくらいに記憶がすっ飛んでおり、当時のことを思い出すのが困難になっております。その日もどうして札幌駅に行ったんだか。

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711系電車S-902編成
といちおう番号は読めますが、全貌は撮影しておりません。S-902を意識したのかすらも記憶にありません。

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こちらはS-901編成(下の写真には現像ムラがあります)
窓の構造が他の車両とは違うので撮影したのかな。2両編成だし。中間車のモハ711-9が、このS-901編成やS-902編成に組み込まれていたようですが、組み込まれたS-902編成は見たことがありません。

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量産車モハ711の集電装置
今まで蒸機以外で、車両の部分撮影なんてしたことないのに、模型化でも考えていたのかしら。TMSに711系の図面が載った頃だったかもね。

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特急「北海」
山線のクイーンです。短いながらもグリーン車と食堂車を組み込んだ、正統派の特急列車です。

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特急「北斗」
「北海」に対して、こちらは苫小牧、東室蘭経由で函館とを結び、「北海」と対を成す列車です。こちらも短めですが、ちゃんとグリーン車も食堂車も用意されています。早い話、この当時、道内の全ての特急列車にはグリーン車と食堂車が連結されていたわけでして。

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留置中の485系電車
この年の7月から運転を開始する特急電車用の車両です。食堂車はおろかグリーン車すら連結されない、わずか6両だけのビジネス特急で、道内初のL特急でもあります。足だけはダントツに速いのですけど。

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キハ56系
道内の急行列車のほとんどは、このキハ56系で運転されておりました。昭和36(1961)年の登場以来、キハ58系と共に国鉄急行列車として不動の地位を確立しました。急ぐ庶民は特急ではなく急行を利用していましたね。

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ゾロ目 キハ22 222
普通列車のほかに急行「いぶり」や急行「らいでん」の運用にも就いておりました。急行列車として乗ると損した気分になる車両です。キハ21じゃ防寒対策が不十分ということで、出入り台がデッキ構造になりましたが、平成9(1997)年に登場した731系電車と201形気動車では、時代に逆行するかのように、デッキ無しの通勤タイプとなりました。出入り台に温風のカーテンを作って防寒対策としましたが、風の強いにはあまり利かなかったという話を聞きました。

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ED76牽引の普通列車
当時はこんな姿の普通列車が、711系や20系気動車らとともに函館本線を走っておりました。急がないのなら旧客を選んで乗ったものですが、よく利用した札沼線には気動車しか入りませんでしたので、乗るよりも撮る方が圧倒的に多かったです。

とまあこんな風に、蒸機後の撮影を彷彿とさせるように撮っております。この翌日には蒸機を撮りに行くんですけどね。

昭和50(1975)年4月5日 札幌駅