ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

遠足の後に

予備校で遠足がありました。行き先は野幌森林公園です。当時はまだ「森林公園駅」はありませんでしたので、大麻駅で集合し徒歩で向かいました。その遠足が終わり解散後、久々に岩見沢へ行くことにしました。何キロも歩いて、結構、足にキていましたが、カメラを2台と三脚を持参しており、気持ちはいたって前向きです。

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大麻駅 833列車 ED76 508
大麻」って、かなりヤバっチイ駅名だと思うのですが、誰も何も言いませんね。札幌市営地下鉄南北線の「霊園前駅」は、バカ住民どもが騒ぎ立てて「南平岸駅」に駅名が変えられてしまいましたのに。神聖なる霊園を縁起が悪いなどと侮辱した連中にどうぞ災難が降り注ぎますよ~に。

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峰延←岩見沢駅 833列車 ED76 508
833列車の停車時間が長かったので、駅の外で発車を撮影できました。

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峰延→岩見沢 2260列車 ED76 506
すぐに反対方向から貨物列車がやってきました。

この後、どう歩いたのかは覚えていませんが、多分、上幌向方の駅裏へ行ったのだと思います。平成の今は、アンダーパスになっている道路が、当時はまだ踏切だったような気がします。そこを渡ってすぐ右手の方かと。

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スエ31 40 岩見沢客貨車区事故救援車と書いてあります。

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チキ3171とロソ34
救援車と共に事故現場に駆け付けるクレーン車でしょうね。チキはクレーン車のアーム載せでしょうか。平成の今は道路から事故復旧しちゃうので、クレーン車は消えてしまいましたが、平成になってから、車籍を失ったと思われるクレーン車が苗穂工場構内で車輪などの部品を吊ったりしているのを見たことがあります。

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ロキ710ほか 雪掻き車と車掌車

さて、いよいよ操車場へ向かいます。前の年の11月以来になります。その時、留置されていたD51 47がまだおりました。位置も向きも変わっておりましたけど。
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D51 47の右側には、9600に代わる入換用のDE10 1733
以下、写真を羅列します。
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望遠ズームを使い「現役時代にこんな風に撮りたかった」という思いをぶつけてカメラを向けました。下の2枚はオートカメラです。

たっぷりと足が疲れてしまい、帰宅してからしばらくはな~んもできませんでした。
受験勉強はどした?

昭和51(1976)年7月4日