ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

塩谷、小樽築港

久々に鉄友2人と一緒に撮影に出かけました。鉄友は二人とも晴れての大学生、こちらは予備校生。ちょっぴり引け目を感じてしまいますが、立場としてはどちらも「学生」、学割だって対等です。

まずは塩谷のお立ち台ともいうべき小山に上がります。案外、草木が旺盛に伸びていて、期待したようなスッキリ俯瞰とはいきませんでした。

イメージ 1
塩谷←小樽 174列車 DD51 1143

イメージ 2
9826列車 DD51 1165

イメージ 3

イメージ 4
104列車 急行「ニセコ」 DD51 744+DD51
この場所へは急行「ニセコ」狙いで来たわけですが、風景無視で、望遠縦構図の方がよかったかなと、後になってから思いました。撮影した時には気づきませんでしたが、回送のオロネ10が連結されています。客車の回送の他に、現金輸送車のマニ30が連結されることもあったようです。

下に降りて線路際で撮影しますが、なかなかイメージ通りには撮れません。草ボーボー攻撃はなかなか手ごわいです。

イメージ 5

イメージ 6
塩谷←小樽 122列車 DD51 1139

イメージ 7
塩谷→小樽 41列車 DD51 1007

イメージ 8
塩谷→小樽 1191列車 DD51 1047

うまく撮れないし、暑いし、飽きたし、駅に戻ります。

イメージ 9

イメージ 10
塩谷駅 540D キハ22 73+キハ22 77
やはり平成の今よりずっと利用客は多いです。駅員が何人もいるしホームは整っているし、赤字経営ながらもまだ鉄道らしさが残っています。
駅舎内の「SL写真コーナー」には急行「ニセコ」など、ファンが贈呈した蒸機列車の写真が何枚も飾られております。

イメージ 11
何かの作業車が留置してあります。ちょっとした駅ではハイモをよく見かけました。

イメージ 12
小樽→塩谷駅 904D 急行「らいでん2号」
何とも長閑な駅前通りです。
平成の今、この道路の左側の一段低い場所に新たな道路が建設され、線路とは踏切ではなくオーバークロスで交差しており、またこの道路も踏切を廃止し、歩道橋で線路を跨いでおります。

イメージ 13
小樽←塩谷駅 903D 急行「らいでん2号」
手書きの時刻表が味わい深いです。

イメージ 14
荷42列車 DD51 1007

イメージ 15
121列車 DD51 722
小樽築港へ移動します。

イメージ 16
窓を全開にして風を受けます。きんもち、ええ~なあ~。当時、冷房なんて特急にしか用意されていませんでしたが、自然の風だけで暑さは十分にしのげました。

イメージ 17
小樽駅 8186列車 DD51

イメージ 18
右に停車中の121列車は機関車をDD51からED76に付け替えました。函館から遠路はるばる走ってきたこの列車は、ED76に牽かれて終着の旭川を目指します。
先行して発車する0番ホームからの列車に乗り換えたように見えるこの写真ですが、その頃の時刻表を見ると小樽築港には停車しない快速列車なので、また121列車に戻ったのだと思います。

小樽築港機関区をお参りします。

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

イメージ 22

イメージ 25
C62 3
ロッドが付いたままなので、いつ火を入れてもおかしくないように見えます。

イメージ 23
DD16 17

イメージ 24
C12 6
こちらは幾つも部品が外され、いかにも「廃車」といった雰囲気です。

イメージ 26
函館本線を跨ぐ歩道橋から、小樽築港駅構内に留置されている蒸機群を望みます。

その留置されている蒸機群です。春からみれば減っているとはいえ、ざっと20両くらいはまだ残っています。

イメージ 27
59609ほか

イメージ 28
D51 483ほか

イメージ 29
「NH」は苗穂工場、「OM」は大宮工場のことでしょうか。この刻印は何を意味しているのでしょうねえ。

イメージ 30
C57 144ほか

イメージ 31
D51 1072

どうしたことか、この後、再び機関区に戻っています。

イメージ 32
D51 764

イメージ 33
C62 3とDD16 4

相変わらずの不可解な行動。全く、若い連中というヤツは一体何を考えているのか、さっぱり真意を測りかねます。まあ、ちゃんと写真を撮っているのでそれはそれで結構なのですがね。

昭和51(1976)年8月14日