ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

市電をぶらぶら撮影

受験勉強から解放されたせいか、撮影の虫が疼いて仕方がありません。この日は春の陽気に誘われるように市電を撮りに出かけています。

なお、この日からのネガフィルムにはキズが相当入っていて、いちいち処理するのがあまりに手間なので、未処理のままアップします。すいません。

まずは電車事業所付近から。

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現在は「中央図書館前」となっている電停です。この10年後に教育大があいの里へ移転しために「西屯田通」と改称され、更に教育大跡地に図書館が建設されたことで平成3(1991)年に現在の名称となりました。

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学校が移転し、市電の利用客はガクッと減ってしまいました。
なお、撮影の足場となったこの歩道橋は現在ありません。

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「電車事業所前」電停では運転士が交代します。

それではここで車庫を少し見学させてもらいます。

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休車中の連接車。A800から始まる連接車のスタイルは抜群でしたね。

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700番代の形式は、車体が元ディーゼルカー

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望遠ズームしかないので、接近しての撮影はしておりません。

それでは「西四丁目」まで歩きながら撮影をして参ります。平成の今は沿線風景がすっかり変わっており、場所を特定するのは難儀です。

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電車事業所前のカーブです。

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平成の今は、テレビ塔が見える沿線はありません。

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三吉神社、通称「さんきちさん」の前です。

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終点「西四丁目」電停です。
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ループ化により、この辺りの雰囲気は一新しました。

雪がすっかり解けて、いよいよ新しい学生生活が始まりますが、それまでの間にも、まだまだ撮影は続きます。

昭和52(1977)年3月23日