ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

静鉄と清水港線

目が覚めると、どんより雲に雨。実質、撮影の初日となったこの日、何とも鬱な気分で始まりました。おまけに、寝床に使ったベンチは一人用のカラフルだけれどもデコボコした樹脂製のアレで、それが当たっていた箇所は痛いじゃありませんか。ま、何はともあれ撮影開始です。

国鉄の静岡駅からそう遠くないところに静岡鉄道の新静岡駅があります。朝っぱらから少々ムシムシしています。
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まだ午前6時前で、人の姿はあまりありません。地方私鉄なのにピッカピカのステンレス車とはいささか意外でした。偏見というわけではありませんが、年季の入った車両という先入観がありました。
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ドアが開いていることから、多分1001号の編成に乗ったのでしょう。それに乗車して、東海道本線をオーバークロスする最寄りの駅である「運動場前」へ向かいます。

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DD13 135と静岡鉄道
ちょうどいい場所に陸橋があり、この付近で1時間ほど撮影します。40年後の今頃になって気づいたのですが、左に見えるコンテナは、トラ3000とかトラ40000に一個ずつ積載されています。
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コメントのしようがありませんが、左手に運動場前駅があります。今は「県総合運動場」と駅名が変わっています。

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車好きな人が見れば、それで年代が特定できるのでしょうか。

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通勤時間帯なのかもしれませんが、次々に電車がやってきます。
もちろん、国鉄の方も忘れちゃいません。
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傘を差しての撮影だったか、雨が降る中、次々に列車がやってくるのでメモは全然取っていません。(時刻表を子細に調べれば分かるでしょうけど面倒です。)
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上り貨物列車 EF65 70

この後の撮影のために、清水へ移動します。
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運動場前駅からこの電車に乗車したようです。いい顔つきです。
途中、東海道線と平行する箇所があるのですが、見た記憶がありません。きっと何本かの列車とすれ違ったはずです。

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清水←草薙
静岡鉄道の終点、新清水駅で下車し、何となく辿り着いた踏切です。右手の方に進むと「清水銀座」があります。4年後、まさか自分がこの町に住むことになろうとは知る由もなし。
線路際に移動します。
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草薙←清水 EF66 42 奥に見えるのが清水駅
貨物牽引機にしておくには勿体ない好スタイル。クリーム色の帯は絶対にブルトレを意識してんな。実際、8年後にはブルトレ牽引機となり、ファンを発狂もとい熱狂させてくれます。

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8012列車 特急「あさかぜ51号」 EF65 501
臨時列車だからでしょうか、ヘッドマークがないのが残念です。この当時、経費削減の目的から、全国的に寝台特急列車にヘッドマークは装着されていませんでしたが、東海道本線だけは別格で、しっかり装着していました。

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EF65 47
同じEF65でも、塗装の塗り分けで受ける印象は随分違うものです。JR化後の意味不明なキテレツな塗り分けを「E電」並みにダサイ、冴えない、見苦しいと感じたのは私だけではなかったはず。単純明快な塗り分けこそベスト。その点ではJR東海が一番まともだったかもしれませんが、淡泊過ぎて存在感に乏しい印象でした。
 
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8列車 特急「富士」 EF65 530
EF65Pが牽引するブルトレの写真はこの2列車が全てです。

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EH10 31
マンモスの異名をとる動輪8軸機関車。でっけ~~!DD50の重連ってこんな感じだったのかしら。スタイルは今風ですが、性能的には旧型電機です。貨物用機関車ながら、電車特急「こだま」の開発が遅れていたなら、EH10が特急「つばめ」や「はと」と云った歴代の名特急列車を牽いていたかもしれません。その時には明るい塗色に身を包んで東海道線を疾走したことでしょう。またそうなると東海道新幹線の開業も遅れ、青函トンネルにはいまだ快速「海峡号」が走っていたかもしれないですね。
などと、意味のない妄想をしてしまいます。

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165系
153系電車に始まるこの顔は、全国の近郊形、急行形電車の顔として定着しました。北海道の近郊形711系電車も同様です。

以上の撮影は、実はただの時間潰でした。清水での本当のターゲットは清水港線の客車列車でした。しかし、その肝心の線路が見つからずあっちへウロウロ、こっちをウロウロと、そんなウロウロしている中でようやくめっけ。でも何だか引き込み線ちゅうか専用線ちゅうか、そんな冴えない雰囲気の場所でカメラを構えました。実際、この辺りから、海の方へと向かう引き込み線が分岐していました。使われていたかどうかは分かりませんけど。
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清水埠頭←清水 661列車 DD13 149
1日1往復の旅客列車。乗客は高校生ばかりで結構混みあいますが、この日は夏休み期間中ということもあって、たったの2両編成です。通常は4両編成だったか。
機関車がDD13であることからも想像つくように、はっきり言って貨物列車のおこぼれです。つまり貨物列車で使っている機関車の間合いで客車を牽いています。付近には他に非電化路線がないので、この路線のためだけに気動車を走らせるよりかはずっと安上がりになります。
清水港線は、昭和30年代までは大黒字の優等路線だったとか。全部貨物で稼いでいました。この当時、全盛期から見れば衰退著しいとはいえ、区間列車も含めて貨物列車は5往復は走っていたのではないでしょうか。
通学生たちは、帰宅には本数の多い静鉄バスを利用するので、返しの上り列車はいつも空いていたようです。とはいえ、貨車を連結し、混合列車になることもありましたから、決して無駄なスジではなかったようです。

敗北感に満ちた残念な気持ちで清水を後にしますが、さていよいよこの日のメインイベントとなる金谷駅へと移動します。

昭和52(1977)8月19日