ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

関東鉄道

この日は上野駅の玄関先で目覚めました。ゆうべ、上野公園の交番近くのベンチを宿にしようとしたらお巡りさんがやってきて「ここは危ないから駅に行きなさい」と言われてしまった次第です。なるほど、お巡りさんが怖いということですね。

上野駅では、東京駅に続きまたしても一番のお寝坊さんでしたが、やはり寝不足気味だったのでしょう、土浦へ向かう列車の中ではウトウトしっぱなし。ふと気が付くと列車は駅に到着するところでした。時計を見ると土浦到着の時刻ではありませんか。ヤバイと思い、すぐさま荷物を持って列車を降りました。でも、なんか駅の雰囲気が寂しい。駅名標を見ると「荒川沖」、土浦駅のいっこ手前でした。どうやら列車は5分ほど遅れていたようです。

あがいても仕方がないので、次の列車が来るまでの間、何か撮影しようと踏切に行きます。ちょうどよい具合に列車が来ました。
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4002M 特急「ひたち1号」、下り貨物列車 EF80 50

荒川沖駅に戻ってきます。
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457M 気を取り直して土浦駅へ向かいます。

関東鉄道筑波線の始発駅、土浦駅です。
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筑波線には深入りはせず、駅近くでお茶を濁します。
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ここでフィルムを交換しますが、交換したフィルムには光漏れがありました。桃浦駅で撮影を終えたフィルムを巻き戻そうとしたら空回りするのです。どうやらフィルムを固定していた軸からテープが剥がれてしまったようです。しかもダークバッグは他の荷物と一緒にコインロッカーの中だったので、やむなく暗い駅舎の片隅で、バッグの中でフィルムを取り出し、コダクロームの真っ黒なフィルムケースの中に収めましたが、この時に光が漏れました。でもこれだけの漏れで済んだのは幸いだったと言えるでしょう。
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バケット付きの気動車。荷物が載っていたらよかったのに。

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留置してあった401系だか403系だか415系だか。よ~分かりません。

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駅に戻ると珍しい車両が。キニ55です。キハ17系の2基エンジン搭載車キハ51からの改造車です。キハ52の先輩ということでしょうか。頻繁に電車が走るスジの中を邪魔せぬよう、2基エンジンによる加速性を評価されての運用です。形式写真を撮ろうとしたら発車してしまいました。いけずう。

次は鉾田線へ。石岡駅から乗り換えて桃浦駅で下車しました。霞ヶ浦が見えるかなと思って。
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乗車してきた列車は桃浦駅で列車交換しました。のどかなローカル私鉄の風景に、思わず唾をゴックンです。

この後、コダクロームに替えようとしたら、前述の通りフィルムがパトローネの軸から剥がれてしまい、その回収の際に光漏れ事件を起こしてしまうわけです。

相変わらずの曇天に、露出は厳しいなんてもんじゃありません。ASA25だし。なのにおバカな私は、買ったばかりのW4フィルターをかましてしまいました。曇天時の色補正フィルターですね。益々露出厳しいじゃん。加えてズームレンズを多用。どんだけ首絞めとんじゃ。おまけに途中で雨にうたれちゃったりするし。出来上がった写真はご想像にお任せします。って、いずれ公開して後悔しちゃうけど。

コダクロームを使い切って、モノクロネガに入れ替えます。趣ある駅舎なんぞにカメラを向けます。
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はい、石岡に戻ります。

石岡駅です。
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イメージ 17あまり時間がなかったので、ホームから撮れる範囲で車両を撮影してから上野に戻りました。

翌日は撮影の舞台を東北地方に移します。夜行列車で移動しますが、座席と睡眠時間を確保するため、わざわざ上野駅まで戻るわけです。一旦関東を離れますが、これも周遊券と乗車券をうまく使って宿代を浮かす作戦なのです。国鉄の職割を使うので、急行券不要で急行列車に乗れるし。

さあいよいよ東北かあ。

昭和52(1977)年8月22日