ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

鹿越信号場

金山ダムの建設に伴い、水没地区となる根室本線の金山~東鹿越間は線路が付け替えられ、その中間にあった鹿越駅は新線上に信号場として新たに設置されました。
当時の国鉄は信号場でも客扱いをしており、それは常紋信号場が特に有名でしたが、ならば鹿越信号場も客扱いしているのではと思い、何はともあれ行ってみることにしました。
道内時刻表にも載っていない信号場の客扱いの有無をどうやって確認したのか、おそらく富良野駅で確認したと思うのですが、無事に鹿越信号場で下車することができました。土地に不案内で、信号場付近での撮影しかできませんでしたが、信号場では、職員の方にお茶のもてなしを受けるなど、とても良い印象を残しての撮影でした。

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金山駅 1492列車 DD51 577(433Dより)
貨物列車は、構内踏切で分断されて待機しています。改札口には大勢の下車客が並んでいます。まだ鉄道が沿線住民の重要な足として機能していた頃です。
鹿越信号場は次の停車場です。

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鹿越信号場 433D
Y君の右ひじが写り込んでしまいました。なんせホームは狭いですから。
信号場にはいわゆる朝礼台のホームがあります。駅舎のみならず駅名標も撮る習慣がなかったので、信号場の全貌は撮影していません。1本の列車に何枚もフィルムを消費するくらいなら、駅周辺の様子もちゃんと撮っておけよと言いたいですね。

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403D 急行「狩勝2号」、404D 急行「ニセコ2号」
なんで根室本線に「ニセコ」なの?と疑問に思われるでしょうけど、上り「ニセコ2号」は、根室発函館行きのロングラン急行でした。根室発8時30分、函館到着23時5分。でも下りの「ニセコ」はないんですよね。行ってもいないのに帰ってくるとは不思議な列車ですが、当時の運用図なんか持っておりませんので単なる推測ですが、下り急行「狩勝」が運用に咬んでいたのでしょう。
因みに臨時ながら急行「すずらん」も函館~釧路間で運転されていました。

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そんな2017年正月の疑問などどこ吹く風で、上り急行「ニセコ2号」は発車します。

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422列車 DD51 643
釧路発滝川行きの普通列車です。機関車が蒸機からDLに変わっても、旧客の乗り心地は大きくは変わっていません。いや、多少、運転が乱暴になった感はなきにしもあらず。イメージ 7
この列車も客扱いをしていたようで、一旦停車してから発車してゆきました。

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東鹿越←鹿越(信) 435D(滝川発落合行き)
信号場から少し離れた線路際でカメラを構えます。せっかく金山湖があっても、凍結して雪原になっており、うまく絵にまとめられないという腕の未熟さもあったかと。

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東鹿越←鹿越(信) 4003D 特急「おおぞら2号」
陽の当たる後追いの写真を。わざわざここで撮るような写真ではないです。この頃は信念も工夫もなく、何とな~くシャッターを切っていました。ま、信念は今でも曖昧ですけど。

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1451列車 DD51 583
信号場に戻ってきました。
機関車の次位に付く「コキ27108」って何だ?貨車の知識がない私は、この見慣れぬナンバーのコンテナ車が何だか分かりませんでした。コキ20000もコキ7000も聞いたことないし。
でもこういう時、ウィキは役に立ちます。コキ5500形式の20000番代ということでした。コキ7108が改造を受けて27108になったという次第。改造内容はウィキを覗いてください。
貨車のナンバーを見て形式をズバリ当てられる人を尊敬します。ワラ17464がワラ1形式だなんて、やっぱ変じゃね?

職員の方にお礼を言って、442Dで帰途に就きました。今回の遠征撮影の終了です。

昭和53(1978)年3月25日