ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

小樽へ向けて

暑いけれど小樽へ行くことに。
まずは札幌駅でウォーミングアップ。

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831列車(札幌発網走行き)
旭川から北見までは521列車、北見から網走までは1521列車と番号を変えます。途中の駅で切り離す車両もあるようです。

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2番ホームの急行「らいでん2号・いぶり」は「上目名・岩内・札幌行」という滅茶苦茶な列車で、途中、離れたりくっついたりを繰り返します。まず小沢で岩内行が切り離されます。倶知安で「らいでん2号」は終わり、上目名行きの普通列車となります。一方「いぶり」は倶知安から胆振線を経由して伊達紋別に出て、そこで洞爺からの急行「ちとせ9号」に合体して終点の札幌を目指しますが、東室蘭では室蘭からの普通列車をくっつけます。離れたりくっついたり、運用を考える人の頭の中は一体どうなっているのでしょう。ダイヤが乱れた時にはどのように事態を収めるのでしょうね。

さて、仁木行きの540Dに乗車して小樽へ向かいます。
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銭函駅? メモには銭函駅とあるのですが、貨物ホームがあり今とはだいぶ様子が異なるので自信ありません。何やらレールの取り卸し作業中のようです。

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恵比須岩が見えてきました。この付近は海水浴場なのですが、流石にお盆も終わる頃には人出は少ないようです。

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張碓駅です。停車する列車はわずかにありますが、この列車は通過します。待避用の中線があります。更に進むと・・・
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トンネル横へと続く線路が残されています。かつてはここには採石場があったようですので、それを積み出していたのでしょうか。因みに写真を撮っている時にはそんなことなどな~んも考えちゃいません。

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朝里←張碓
朝里までもう少しです。当時はこんな風に海水浴客は線路際を歩いて移動しておりました。特急列車も含めて列車速度は遅かったし、ブツを浴びる危険性を除けばどうということのない行為でした。

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朝里駅。中線は今でも札幌方面への列車の折り返しに使用されています。改札口には駅員さんがいます。今では無人化され駅舎もこじんまりとしたものに建て替えられています。

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銀鱗荘が見えますが、今と比べるととても小さいです。この海岸では海水浴客の姿が結構見えますが、皆さんどうやって来たのでしょう。

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熊碓トンネルの手前で41列車とすれ違います。森発札幌行きの荷物車付き普通列車です。

この先、下車予定の南小樽まではもう少しです。

昭和53(1978)年8月15日

銭函から小樽築港までの海側車窓