ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂工場公開

JR北海道の苗穂工場および苗穂運転所まつりでは、物品販売やミニコンサート、ゲームなどによりテーマパークのような雰囲気がありますが、それはそれで善しとしても、あまりに立入禁止区域が広がってしまいました。実際の現場を見たいという鉄道ファンにしてみれば、テーマパークの趣向などどうでもいいことで、もっと工場の中をつぶさに見学したいところです。

昭和53年の苗穂工場公開では、まさに工場の中を好きに回ることが出来ました。つまらないイベントは一切なく、一部、新しい車両や現役の車両を展示するくらいなものでした。

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DE15 1501
両端ヘッドになったDE15。これで機回し線のない終端駅でも運用が可能になりました。

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試運転中のキハ56が、廃車になったのか、3両のDD13の脇を通り抜けます。
DD13は手前から40号機、39号機、38号機で、38号機だけナンバーが外されています。

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反対側に回ります。背景にまだマンションはなく、とてもスッキリしています。工場の騒音がやかましいなどとわめくモンスター住民はおりません。

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DE15 2510の前頭車だけ。他にDE15 3という若番もおりました。
ところで通路の先にある木造の建物ですが、何の事務所かは分からないものの、今は取り壊されてコンクリートの更地になっています。今はその隣に技術資料館があります。つまり、C62 3が展示されているプラットフォームの広い敷地に建っていたものです。

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仮台車を履いたDD51 700。新形式のDD52ではありません。
通説として、DD52は貨物用DD51形式800番代に付与されるハズだった形式といわれていますが、DD52はDD51よりも更に強力な貨物用ディーゼル機関車を目指していたようなので、部品に共通性を持たせながらもDD51とは別物だったのかもしれません。たとえば、新幹線の911形式のような箱型スタイルで誕生していたかもしれませんね。

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入換用機関車DD13 41。この時点でモスグリーンに塗り替えられていたかどうかの記憶はありません。色情報がないのはとても残念です。

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試運転中のDD15 17。作業の様子を間近で見てもOK。でも自分で安全に気を配ることを忘れてはいけません。
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側面のカバー全開です。

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検重車、ケ10形式。用途などは各自調べて下さい。自重54t。形式の「10」は「重」にかけた?

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解体品を貨車に積み込んでいます。手前には蒸機のドームカバーがひっくり返っています。ドーム後部に重油タンクを積んでいた機関車のもののようです。

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キハニ5000はまだボロボロのままです。

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日章旗を掲揚したスイッチャーがチ1001他を牽引しています。

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DD51 29
学校からの帰りで広角レンズを用意していなかったので、近づいて全体を撮ることができませんでした。

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DE10 62、DD13 50

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DD13 41、DD51 614
この様に、作業中の建屋の中にも少しだけ入ることができました。

機関区で機関車の写真を撮るのとは訳が違ってより危険が伴いますから、こういうチャンスはとても貴重でした。
今でもこういう形での公開だったら毎年行くのですが、イベントばかりで工場内をろくに歩けないのなら行かなくてもいっか。

昭和53(1978)年10月13日 苗穂工場