ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

本日のカラーポジ キハ48

昭和58(1983)年5月 札幌駅
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キハ48 301

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キハ48 1301

国鉄形車両もすっかり少なくなり、今は一般形のキハ40系が注目されているとかしないとか。旧キハ40が存在したせいでしょうか、新キハ40では0番代はなく、北海道向けの100番代から番号は始まっています。(キハ47、キハ48には0番代有)

キハ40の仲間は、近郊形片運転台のキハ47と一般形片運転台のキハ48のみで、後に改造形式であるキハ41がJR西日本に誕生しています。(他にジョイフルトレインへの改造形式があります。)なお、北海道にキハ47は配置されませんでした。

それまでのキハ17系、20系、45系、58系には北海道向けの専用形式が存在しました。左が本州向け形式で右が北海道向け形式:キハ11~キハ12、キハ20~キハ21、キハ23~キハ24、キハ45~キハ46、キハ28~キハ27、キハ58~キハ56
などといった具合です。
でもキハ40系に関しては形式が増えるのを嫌ってか、番代区分で対応しました。

キハ24、キハ46はそれぞれ10両、6両しか製造されませんでしたが、キハ48も同様に300番代(便所有)が4両、1300番代(便所無)が3両という少所帯です。片運転台なので、キハ40よりも価格が安く、また定員が増やせるということで、札幌近郊での運用を目的に製造されたものだと思います。でも将来の転用を考えればキハ40に統一した方が良かったのではとも思います。一部は宗谷線急行用にキハ480に改造されました。遥かミャンマーへ旅立った車もありましたね。

キハ40の陰に隠れた存在で、形式番号も特別ではなかったので、目立たぬままひっそりと消滅した、そんな印象です。

キハ48とPDC甲種輸送ミャンマー輸出へ向けて)