ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

苗穂の有名撮影地に専用線があった件

かつて苗穂駅からは数多くの専用線が伸びておりました。無関心が仇となって、それらはほとんど把握しておりませんが、現在の有名撮影地にもかつては1本、南側に伸びる専用線があったことはあまり知られていないかもしれません。その場所は、写真を見ていただければ、あのお馴染の場所です。今はフェンスががっちりガードしていて、こんな写真は望むべくもありませんが。

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苗穂←白石 単5179 DD51 615
DD51が走行するのが上り函館本線で、正面に伸びるのが問題の専用線です。
右手は岩田建設(現 岩田地崎建設)で、細い道が会社の敷地内に続きます。この道がこの頃(苗穂丘珠通りがアンダーパスになる前)から国道275号線へ抜けられたのかどうか知りませんが、「一般車の通行を禁ず」といった内容の立て札が立てられていたように記憶しています。車はダメだろうけれど徒歩ならいいべと思ってこの場所に入ったハズです。

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1793列車 DD51 597
分岐器から車止め(カーブしているので見えませんが)までどれくらいの距離があったのか分かりませんが、今の老人ホームの駐車場辺りには、この頃は何か建物があったようなので(市販本の航空写真による)、せいぜい100~150mではないかと推測します。

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苗穂→白石 単177列車 DD51 614+DD51 577
反対側を見ますが、望遠で撮影したので周囲の様子は分かりません。後ろのDD51の後部台車、中ほどの高さの所を水平に走る白い線が、苗穂丘珠通り(当時もそういう名前だったかは分かりません)の踏切になります。

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1008M 特急「いしかり8号」
入換信号機があるので専用線はまだ生きていたのかもしれませんが、分岐器の先は、望遠効果にせいもあってか、草ボーボーに見えます。

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5D 特急「おおぞら5号」
本線は少し勾配がついていますが、専用線は水平のようです。

ここで少し苗穂駅寄りにバックします。
専用線が、右へ曲がり南西へ向かっています。線路を挟んだ左側の建物ですが、今は空色っぽく塗られてまだ建っているので、おおよその位置関係は把握できるのではないでしょうか。
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15D 特急「おおとり」
苗穂丘珠通りの踏切です。柵のない場所でそれなりに離れて撮影しております。
専用線ですが、本線から南西にカーブしてゆきますが、方向としては苗穂丘珠通りのアンダーパス付近に沿って札幌江別通り(当時もそういう名称だったのかは不明)の手前まで伸びていたようです。いずれにしても、当時の5万の地図にこの専用線は記載されておらず、真剣に調べてもいないので憶測だらけでえろうすんまへん。

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苗穂丘珠通りの踏切。手前4線が本線で、その向こうを日本セメント(現 太平洋セメント)の専用線をDD13が貨車を牽いて走ります。かつては自衛隊まで伸びていたハズ。

この日の苗穂工場といえば、こんな感じ。781系は検査入場でしょうか。
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昭和54(1979)年5月25日