ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

福岡で

あまり写真はありません。

イメージ 7
諫早駅 島原鉄道の貨物列車でしょうか。ただの入換でしょうか。

しばしこの駅で行き違い停車です。

イメージ 8
308D 急行「出島8号」
架線の下を走る気動車急行です。途中、肥前山口では、佐世保からの急行「弓張8号」を併結します。いわゆる2階建て列車です。

イメージ 9
貨物列車 ED73 1014
ED73は、旅客用のED72とともに九州専用の交流電気機関車。軸重の関係から九州の北側でしか運用されなかったようです。高速仕様などへの改造で全機1000番代になりました。基本的にSGを搭載しない貨物機ですが、ブルトレを牽引した実績もあります。黄色のナンバー文字が異彩を放っていました。

さて、博多に到着し、洗濯物以外をロッカーに放り込んでまずは駅前、そして中州辺りを徘徊します。中州と言えばタモリさん。そんなこたあどうでもいいです。肝心のコインロッカーが見つかりません。でも銭湯は発見。いよいよ観念して電話帳を繰って調べることにします。

電話帳の住所を頼りに筑肥線に乗車して小笹で下車。徒歩で探しますが、ここでも見つかりません。弱りましたね。もうすっかり暗くなったというのに。翌日は鹿児島に立ち寄るので、またあそこのコインランドリーで洗うことにしますか。と諦めて西鉄バスに乗り博多に戻ることにします。でも、窮すれば通ず。バスの窓からコインランドリー発見。時すでに20時。帰りのバスの最終時刻が22時なので余裕はあります。鹿児島から生乾きのまま持ち歩いていた洗濯物も一緒に洗い直します。乾燥機の性能は鹿児島のモノよりも格段に高性能で、半分くらいの時間ですっかり乾いていました。

1時間ほどで洗濯を済ませ、博多に戻ったのは21時半。それから銭湯へ行きました。まだ開いていました。やれやれと思って暖簾を潜ったところで、突然稲妻が光り、ほぼ同時に激しい轟が鳴り響きました。ひえ~、こえ~。近くに落ちた?これではゆっくり湯に浸かるどころではありません。ちゃちゃっと洗ってさっさと出てしまいました。激しく雨が降っていたので、タクシーを拾って博多駅へ戻りました。

22時半を過ぎたところで、少々早いですが改札を入ります。

イメージ 1

イメージ 2
5036D 特急「にちりん16号」
特急「にちりん16号」は日豊本線経由で博多と西鹿児島とを結んでいました。

イメージ 3

イメージ 4
5012D 特急「おおよど」と191M(421系)
特急「おおよど」は博多と宮崎とを鹿児島本線肥薩線吉都線日豊本線経由で結んでいました。

イメージ 5
北海道では見かけないセラ。2軸のかわいらしい貨車で、こどもの頃の石炭貨車のイメージはこれでした。

イメージ 6
ED72 19
ED72はパンタグラフを降ろしてお休み中。

1日の間に色々な汗をかき、この晩もまた急行「かいもん5号」の客となったのでした。

昭和54(1979)年8月20日