撮影行四日目のスケジュールは帰宅だけです。新庄から「つばさ8号」に乗車し、上野まで一直線。乗車までの間に、余ったフィルムでホームでのスナップ撮りです。
07:30頃 421列車(山形発、新庄止まり)・424列車(横手発、米沢行き)
奥羽本線には客車列車がまだ相当数残っていました。電車、気動車、客車そして貨物列車と、様々な種類の列車が奥羽本線を往来していました。
3722D キハ23 514
3722D キハ58 294
陸羽東線、小牛田行きの快速「いでゆ」。とぼけた感じのヘッドマークが微笑ましいです。キハ23とキハ58は似た顔なのに、裾絞りがないだけでかなり印象が異なります。
421列車
運用を終えて、留置線へ引き込まれます。
オハ50 2319
逆光にハレーションを起こしてしまいました。
1/60でシャッターを切っているのにブレていないことから、三脚使用で撮ったようです。夜間のバルブ撮影でもないのに、駅撮りで三脚を使うだなんて、そうあるものではありません。
「つばさ8号」では、大沢から福島まで、車窓撮りでビデオを回していましたが、逆光が酷いのと、時々気を失ってカメラがガックンとなってしまい、あまりいい映像は撮れませんでした。
平成元(1989)年10月10日
では本日のあぶれ画像。
昭和57(1982)年10月9日 北白川駅 12:35 列車不明 ED71 14+ED71
せっかくの重連も、こんな撮り方では台無しです。
同上 13:16 はつかり4号
583系は昼間乗るには、直角シートは特急らしからぬものでしたが、足元は結構、広々していました。前のシートに脚を載せようとすると、腰の位置がだいぶ落ちて、非常にだらしない格好になったものです。
昭和57(1982)年11月14日 上野駅
上越新幹線開業、東北新幹線の完全営業開始の前日。この日をもって、上野駅からは東北本線や高崎・上越線の長距離特急はほとんど姿を消してしまいました。国鉄ファンにとっては結構キツイ日でした。
昭和61(1986)年7月26日 05:30頃 米子駅 3735列車
山陰本線のスカ色115系を横に見て、20系客車の夜行急行「だいせん5号」(大阪発、出雲市行き)崩れの快速列車が到着です。倉吉~出雲市間は乗車券だけで20系に乗車できました。
昭和63(1988)年10月22日 新鶴見操車場
廃車になったDE10の屍が連なっています。ここにはDE11やEF62なども大量に留置された他、壮絶な両数の貨車もヤード一杯に広がる線路を埋め尽くしていました。