ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

キハ55系

軽量化技術により車体の大型化に成功したキハ55系ではありましたが、キハ58系が大量増備されるに及んで、すっかり影の薄い存在となり、道内ではほぼ苗穂機関区に集中配置されたものの、10両程度だったためにあまり目にする機会はありませんでした。そんな折、4両すべてがキハ55系という編成に出会いました。

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544D

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キハ55 5
登場時はキハ44804を名乗っていた、試作車5両のうちの1両。車端部の角が曲面になっているほか、キハ17系のように小型の運転台窓と側面のバス窓が特徴です。台車はキハ21と同じタイプであるDT19Bでしたが、後年、DT22に交換されました。

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キハ55 164
キハ55の最終グループである100番代で、側窓が1段上昇式になりました。台車は最初からDT22A。キハ22の片運転台車のように見えなくもありません。

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キハ55 10
最初の量産車のグループで、試作車と異なるのは運転台窓が大型化したことと、縦の雨樋が埋め込まれた点が目立ちます。こちらも台車が交換されました。基本的な構造はキハ20系に継承されました。

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キハ26 4
キハ26の最初のグループです。キハ55の0番代最終グループの後に製造され、その名残で側窓がバス窓となっていますが、キハ55と同様に100番代では一段上昇式になります。

異端児として、北見機関区にはキロ25を格下げしたキハ26 424(←キロ25 24)が配置されていたようです。
北海道向けという区分はなく、二重窓車はホンの一部だけだったようです。

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イメージ 8316D 急行「なよろ2号」が到着し、小樽行き544Dのキハ55系4連に連結されました。グリーン車付きの普通列車になります。

キハ17系からキハ58系へと橋渡ししたキハ55系でしたが、ほぼ同期のキハ20系がJRに継承されたのに対して、キハ55系はJR化前に全廃されてしまいました。

おまけ
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キロ28 131(213D 急行「ちとせ13号」)

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DD13 163

昭和55(1980)年6月6日 札幌駅