ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

車両写真-36 札幌駅-12

いつものように。もう何も期待しないで下さい。珍しい車なんてありませんし「鉄道ピクトリアル」の解説以上のものは何も説明できません。番号を集めていただけですからぁ~。

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オハ35 1294
雨樋が出入口のところだけ。キノコ切妻。鋼板屋根。

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オハフ33 364
キノコ切妻。現在、小樽市総合博物館で保存されていますが、通風器は撤去されている模様。一番手前の窓越しにブレーキハンドルが見えますが、ここにも腰掛があって着座できました。

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オハ35 1303
キノコ切妻。キャンバス屋根。1294号とはメーカーが違うこともあって外観に差があります。上記3両とも台車はTR34。

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マニ36 2243(←オハ35 2903←オハ35 903)
絞り折妻。鋼板屋根。

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マニ36 2097(←オハ55 2064←オロ40 2064←オロ40 64)
オロ40はオハ35系の2等車(3等制時代)。オハ55はその格下げ3等車。絞り折妻。種車のオハ40 64は日本車輛製であり、本来なら鋼板屋根のはずですが、この写真ではキャンバス屋根に見えます。台車はコロ軸化したTR23H。縦雨樋は短めです。
因みにオロ40の98~102号は車体がジュラルミン製。後に車体をオロ41に準じた鋼製に置き換えてオロ42に改形式。

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キハ22 112
タラコ色にブタ目。当時は「ふん」とばかりに蔑視していたかも。でも今となっては何もかもが愛おしく感じます。垂れ流し便所以外は。

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キハ22 256
タブレットキャッチャーの取り付けボルト穴が残っています。112号とは取り付け方法が異なっており、その影響を受けて乗務員用扉の手摺の長さが異なります。

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キハ22 257
手摺のところの鉄板は一体何でしょう?給水中ですが、だいぶ漏れていますね。いつものことなのでしょうか、作業員の方ものんびりしたものです。

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キハ21 44
台車が換装されています。DT22でしたっけ。

気動車に関しては他に書くことが思いつきません。

昭和55(1980)年8月4日

以前にも触れたような気がしますが、記事とは無関係なコメントはこちらで一方的に有無を言わさず強引で積極的かつ無慈悲に削除させていただきます。

旧型客車については、当時、資料本は1冊も持っていなかったので知識はほぼゼロ状態で撮影していました。誠文堂新光社のガイドブックはなかなか高価だったので機関車物を買うのが精一杯。窓の幅が違うスハ32系意外はどれも同じ車体に見えたので形式の区別もつかず、ひたすら訳も分からずにカメラを向けるだけでした。もっとディテールを撮影しておけばよかったとは思うものの、そこまで気が回る状態ではありませんでしたね。
誠文堂新光社のガイドブックの古本は、ヤフオクでいまだに高値で取引されており、今でも入手していません。でもそれに代わる形式図はヤフオクで安価に入手できたので、おおよその外観や車内を知るにはとても役立っています。もっとも今更知ったところで模型をやっているわけでなし、どうなるものでもありませんが、そこは趣味への好奇心が充足されるわけですから、それはそれで善しということで。