試運転の5日目最終日は、主にカラーポジで撮影したので省略し、営業運転初日の写真を掲載いたします。初日は乗車しました。この記念列車の指定券・乗車券は事前に往復ハガキで申し込んだのですが、多数の申し込みがあるだろうと思い、全日程分を申し込みました。幸いにも一番列車の分が上下とも当選しました。
小樽駅で単機回送を待ち構えます。ホームで見かけたファンの数はあっさりしたもの。多分、多くのファンは名撮影地で早くから待ち構えているのでしょう。
TV局が大きいビデオカメラを担いで取材に入ります。まだ一体型ビデオカメラはありませんでしたので、デッキを担ぐ人との二人態勢です。
入れ替わるように、ED76単機重連が発車します。
ED76は誰からも注目されることなく、発車してゆきました。
客車が回送されてきました。DD51が牽引です。客車には3等車を示す赤帯と白い3本の縦線が入れられています。この編成をDD51が牽引する絵の方が、遥かに貴重ではなかったのかと、今になって思う次第。思考が硬質化すると、狙ったものにしか興味がなくなり、関連する事象を無視してしまいます。アマチュアの基本的に悪い所ですね。
試運転では4両だったのが5両に増えています。
C56 160が連結されます。
出発式の準備が着々と進められてゆきます。
普通列車が到着して、対向ホームからは見えなくなってしまいました。
出発ホームは人だかりで、なかなか前に進めません。
地元の学生によるコスプレ。当時はまだこんな言い方はしなかったかな。乗車して車内に明治時代の雰囲気をサービスします。でも明治時代は、C56とスハフ32が作られるずっと前で、客車の車体は中型の木製でした。まあ、そんな硬いことは言いっこなしで。
録音機のセッティングも無事終えて列車は発車します。
小樽駅構内の外れにも、見送る人たちの姿があります。
高架橋に入るカーブに差し掛かります。
南小樽駅の先の踏切付近にも大勢の人たちが待ち構えていました。
小樽築港駅には、これから回送されるであろうDD51の姿がありました。
コンテナホームが見えます。
あっという間に張碓駅。ここで数分間の停車です。乗客は機関車の方に群がります。
恵比須岩を見ながら、列車は快調に進みます。取材のヘリコプターが2機、上空を舞っています。
沿線の海岸には、カメラマンの姿があちこちで見られます。
今とは違って、一般の人たちは見ているだけです。撮影しているのは鉄ちゃんだけ。
今ならスマホやタブレットでゴミデータを量産ですね。
札幌運転区の横を通過します。職員が見送ります。コンテナの上にはどうやって上がったんだか。
手稲駅手前の歩道橋にも人だかりが。
桑園駅を過ぎ、お馴染の踏切をカーブしながら過ぎると、間もなく終点の札幌駅です。
札幌駅到着です。ホームには安全のために、あちこちにロープが張られていました。一旦事故が発生すれば、即刻すべての運転は中止されるでしょう。
1番線から駅北側の留置線に転線します。
無事に下り列車の運転を終えて、C56 160は一旦、苗穂機関区へ向かいました。
ホームにはマイクを無造作に据えています。ちっちぇえ三脚が心許ない。
午後になり、上りの一番列車にも乗車します。
客車の中は全席指定にもかかわらず、通路はいつも混雑しています。
座った席が山側だったからでしょうか、車窓の写真は1枚も撮っていません。それとも、撮影などしないで、のんびりと汽車に揺られたかっただけなのかもしれません。
小樽へ無事に到着し、客車は留置線に転線されます。
C56 160は小樽築港機関区へ単機回送です。
小樽築港駅へ先回りして回送列車を迎え撃ちます。
無事に初日の運転は終了。「お疲れ様」と耳打ちするED76。
昭和55(1980)年11月22日