ただいま鉄道写真スキャン中

昭和40年代中半の国鉄時代から、21世紀初頭のJR時代までの鉄道写真をご紹介。当時のことやら思い付いたことなどをとりとめなく記しました。

マニ30

卒論や卒業アルバムの制作などでバタバタしていたためか、撮影の方は手薄になっていましたが、3月に入ってようやく着手します。定番ポイントですが。

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苗穂→札幌 上り普通列車
思わず、急行「ニセコ」の旧編成復活か!?と思ってしまいました。

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ハイモが苗穂からやってきました。711系とすれ違います。
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構内には除雪作業員が沢山出ています。

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急行「ニセコ」の回送列車がやってきました。札幌運転区からどういう運用でやってくるのかは知りませんが、ED76のプッシュプル13両編成で回送されていた頃が懐かしくなります。ところでこの日は荷物車が連結されている?

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マニ30 2012
マニ30って何だ?窓があんまりないし、いかにも怪しい。もしかしてこれが噂の現金輸送車なのだろうか。というのが当時の認識。

マニ30の運用は、国鉄内部でも秘匿のように扱われていたと言われますが、「管理局報」、今で言うところの「運転報」には、「荷物輸送」とはあるものの、しっかり「マニ302012」としての運用図が掲載されているので、それほどでもなかったように思います。何しろ、国鉄ですから。
昭和58(1983)年3月のそれによれば、隅田川を荷35レで発ち青函連絡船は153便、函館からは101レ急行「ニセコ」で札幌へ。あ、上り「ニセコ」の運用が分かりました。札幌運転区を1843レで札幌へ。現在のホームライナー的な扱いだったのでしょう。札幌到着後は回1843レで苗穂へ。苗穂からは回104レで札幌へ向かい(掲載写真がこれ)、札幌から104レ急行「ニセコ」となります。マニ30もこの運用に載り青函連絡船は22便、青森からは102レ急行「八甲田」で上野へ向かいます。
一方、釧路へは101レから413レ急行「まりも3号」で、返しは414レ急行「まりも4号」~回414レで札幌運転区へ、となっています。小樽と釧路の日本銀行へ現金を輸送していたのでしょう。

因みにマヤ検も「ニセコ」連結で山線の検測を行っていましたが、一度も目撃したことはありません。

昭和56(1981)年3月5日